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福岡でうまいものと言えば。

ぼくは福岡県の出身である。

地元に住んでいたころ(もう30年近く前の話だ)は意識していなかったのだけれど、いまの福岡は「食べものがおいしいところ」として、その地位を揺るぎないものにしている。とんこつラーメンや辛子明太子に頼ることなく、たとえば「あごだし」は多くの食いしん坊に愛される食材になっているし、博多の水炊き、博多うどん(ごぼう天うどん・肉うどん・丸天うどん)、さらには博多の焼き鳥(豚バラと鶏皮をメインとする焼き鳥)を提供するお店も増えてきた。

けれど、もしも福岡出張を予定している友人知人から「福岡って、なにがおいしいの?」と訊かれたならば、迷いに迷ってぼくはこう答えるだろう。


「定食がおいしい」


合点のいかぬ顔つきをする相手からパードン的なことばを訊き返されたならばぼくは、こう付け加えるだろう。


「夜は好きな店に行けばいい。水炊きでもモツ鍋でも焼き鳥でも好きなものを食えばいい。でも、昼は、昼めしだけは騙されたと思って『味の正福』に行ってくれ。行けば、それでわかるから」



福岡から上京したぼくがいちばんびっくりしたのは、「定食がまずい」ことだった。より正確に言うなら、「定食にハズレがある」ことだった。お店によってもハズレがあるし、メニューによってもハズレがある。それは福岡ではなかなか考えられない事態だった。定食とは、おかずがなんであれうまいに決まっているものだったのだ、ぼくの常識では。

いや、あれから何十年も経ったいまならわかる。


定食がうまいとは、お米がうまい証拠である。

定食がうまいとは、味噌汁がうまい証拠である。

定食がうまいとは、魚がうまい証拠である。

魚以外の定食がうまいとは、醤油がうまい証拠である。

定食がうまいとは、だしがうまい証拠である。

定食がうまいとは、あまい・辛いの味つけがうまい証拠である。

定食がうまいとは、その土地に対する最上級のほめ言葉なのである。


正直、いまはもう「とんこつラーメンが食べたいなー」と思う機会もない。福岡のうどん(ウエスト、牧のうどん、かろのうろん、資さんうどん、などなど)を食べたいと思うことはあるけれど、まあそれも我慢できる。でも、なんでもない「定食」は、味の正福に代表される「定食」は、やっぱり地元に住む人だけの特権だよなあ。

福岡の定食が食べたい。それはおのれの過去に薄情な自分に残された、唯一の地元愛かもしれない。