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スープカレーとカレースープ。

きょうの昼、神保町でスープカレーを食べた。

はじめてスープカレーなる食べものの存在を知ったとき、ぼくは「なんだよそれ」とぷんぷんした。だってそうだろう、カレーライスとライスカレーは基本的に同じものである。しかし、スープカレーをカレースープと呼んだ途端、それはカレー味のスープになってしまう。いかにも頼りない前菜、あるいはセットメニューのおまけになってしまう。おれはそんなもの、どんなに流行っても食ってやらんぞ。金など払わんぞ。

そんな孤独な不買運動に邁進していたあるとき、ふと気づいた。

「なんか最近のカレー屋さん、ほとんどスープ化してね? カレー好きのみんなが『しゃばしゃば』と呼んでるこれ、ほとんどスープじゃね?」と。


たぶんみんな、あっさり食べたいのだろう。炭水化物がダイエットの敵とみなされ、余計な小麦粉が敬遠されるようになった昨今、昔ながらのカレーは嫌われるのだろう。そしてまた多様なスパイスが愛好され、スパイスをたのしむ舌や鼻ができあがった結果、日本人もスープ的なカレーで満足できるようになったのだろう。そもそもスープカレーを忌み嫌っていたおれ自身、あっさりスパイシーなしゃばしゃばカレーを好んでいるじゃないか。これはもう、スープカレーそのものじゃないか。


不買運動を切り上げたぼくは、早稲田だったか高田馬場だったかの、それなりに有名なスープカレー店の門を叩いた。気分としては道場破り。「頼もう! スープカレーひとつ!」である。

食べてみてわかったのは、スープカレーはカレースープであり、やはりカレー味のスープと呼ぶのがもっともふさわしい、という事実だった。その過剰なダシは、どうしても「カレーであること」よりも、「スープであること」を際立たせる。どこかラーメンにも似た、スープへのこだわりを感じてしまう。

じゃあここに、ラーメンの麺を入れたらおいしいのか。

むかしぼくは、それで何度も失敗した。スパゲティにカレーをかけたらうまいだろうと考え、おいしいカレーができるたびにそれを試すのだけど、一度としてカレーとスパゲティが絡み合ったことはない。麺がルーのそばをつるつるすべって、なんだかよくわからない無味スパゲティと残りもの感がハンパないカレーを泣く泣く食うことになるのだ。たぶんスープカレーとラーメンのハーモニーも実現しないだろう。


ぼくはなにを書いているのだろうか。

きょうの昼、神保町でスープカレーを食べた。ただそれだけ話で指を動かしているのである。文字を埋めているのである。

こういう日もあるのが、「毎日書く」ということだ。