見出し画像

めんどくさいを乗り越えて。

この先どんな条件が整ったとき、自分はマスクを外すのだろう。

簡単なようでいて、むずかしい問いだ。これは完全に想像でしかないのだけれど、おそらく日本において「もうマスクは不要です!」の宣言が出されることはないと思う。そもそも一部の国のように「義務付け」されていたわけでもないので、「解除」の宣言自体が出しにくい。さらにまた、安全よりも安心が重視される国民性を考えると、どの段階になっても「危険だ!」を訴える人は多いだろう。

それでたとえば、終息宣言に近いものが出されたとする。飲食店の深夜営業やイベント開催、旅行その他が、従来どおりに戻ったとする。けれどもなんとなく「義務じゃないけど推奨されるもの」としてマスク着用の習慣は、しばらく残るだろう。

で、自分の乗る電車の、乗客の半数がマスクを着用し、残り半数が着用していなかった場合、自分はどちらを選ぶだろうか。科学的、もしくは疫学的な「安全」がある程度わかっていたとして、自分はどちら側にいることを好ましく思うだろうか。


なんだかんだで自分は、マスクの着用を選ぶと思う。マスクをつけない人が7割くらいになるまで、つけといたほうがラクだと感じるはずだ。

同調圧力とか、付和雷同とか、主体性の欠如とか、右へ倣えとか、いろんな言い方があるのだろうけど、どれも自分の心情と一致しない。なんというか単純に「めんどくさい」のだ。マスク程度のことでゴタゴタに巻き込まれるのが。

けれどもこの「めんどくさいから、従っておく」の心性は、ときにおおきな悲劇を招きかねない。いざという場面では「めんどくさい」を引き受けて、ちゃんと自分を表明しなければならない。


最近の若者は保守的だ、みたいに言われてずいぶん経つけど、それってけっこう「めんどくさい」だけじゃないのかな。いや、政治の話にかぎらずね。

少なくともクリエイティブの現場では「めんどくさい」を乗り越えた人だけがコトをやりきり、なんらかの果実を手に入れるような気がします。

ほんと、めんどくさいけどねー。やりきるって。