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「まぜるな危険」の、この言葉。

「若いときの苦労は買ってでもしろ」という言葉がある。

ぼくのような雑草キャリアを歩んできた人間はこれに、「そうだそうだ」と言いやすい。自分が重ねてきた「苦労」を振り返り、いまにして思えばあれも大事な経験だったと信じるからこそ「若いときの苦労は買ってでもしろ」と言う。あるいは、恵まれた環境に生まれ、順調なキャリアを歩んできた人を指して「アイツは苦労を知らない」と否定したりする。

たしかに、エリートとされる人たちは「苦労」を知らないのかもしれない。(比喩としてではなく、ほんとうに)今週の飯が食えないとか、家賃が払えないとか、そういうタイプの苦労は経験していないのかもしれない。

けれども、「苦労」を知らないエリートたちが「努力」を知らなかったり、それを怠っていたりするわけではない。むしろ環境が整いすぎているからこそ、人一倍の「努力」を求められることだってあるだろう。

そして中途半端な苦労はルサンチマンにつながることも多く、やっぱりぼくは「若いうちの苦労は買ってでもしろ」の声に、首を傾げてしまうのだ。


恵まれた環境にいる人をうらやましく思う気持ちは誰にだってあるだろう。でも、いざその環境を与えられた自分が、いま以上の「努力」をするかって言ったら、違うと思うのだ。

「若いうちの努力は買ってでもしろ」は、ある程度正しいと思うけれど。