見出し画像

わんわん、ばうばう、がるるるる。

生後70日を少し過ぎた犬の、言ってることがわからない。

さすがビーグル犬というだけあって、うちの犬はよく鳴く。これを「吠える」と書くべきなのか「鳴く」がいいのか、あるいは「泣く」と表記すべき事態なのか、そんなことさえもあまりわからない。

たぶん、本人もよくわからないのだろう。はらぺこだ。あそんでほしい。ねむたい。トイレがしたい。さみしい。生えかけの乳歯がむずむずする。いろんな「いやいや」が彼を苛立たせ、吠えさせているのだろう。

認知する力って、たいへんなものだなあと思う。

たとえばいま、ぼくを便意が襲ったとする。ぼくはそれが通常の便意であるのか、あとどれくらい我慢できるのか、移動中であれば次の駅やビルまで持ちこたえられるか、瞬時に判断することができる。そして、尋常ならざる便意の場合、それを「おなかを壊した」と判断し、急いでトイレに駆け込んだり、直前に食べたカキフライに思いをめぐらせたり、これまたいろんな対応をとるだろう。頭痛、鼻水、発熱からくる倦怠感、なんでもそうだ。わけもなくイライラするときには「わけもなくイライラする」とさえ認知し、酒を飲んだりカラオケやバッティングセンターに行ったりの対応をとることもできる。

もうちょっと大人に成長していった犬が、自分の「いやいや」を多少は正確に認知できるようになるのか、ぼくにはよくわからない。

でも、こっちの「おすわり」とか「まて」とかをおぼえてもらうのと同じように、こいつの声をもっと理解し、察知できるようになりたいなあと思う。


意志が通じないって、ほんとにもどかしいものだものね。