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頼りにならないわたしの記憶。

ひさしぶりに、ドタバタの目覚めだった。

午前6時過ぎに飛び起きて、あわててスマホでメモをとる。混濁した意識のなか、懸命にことばを振り絞って「思いつき」を記録する。こういうときは絶対にメモをとらなきゃダメだ。「これだけすごいことを思いついたんだから、二度寝しても憶えているだろう」と眠りこけたまま、記憶の彼方に消えてしまったアイデアは数えきれないほどある。というか、いまでもしばしばやらかす。幸運にも今日は、スマホに意識を集中させ、メモをとることができた。安心して二度寝し、起床後もずっと気分がよかった。

先ほど、そのメモを読み返した。別に事業のアイデアや、新刊の構想が浮かんだわけではない。本に書いたらせいぜい1ページ分の、膨らませたところで2ページにも満たない程度の、思いつきである。それでも長年の疑問(たぶんそのうちここに書きます)にひとつの答えが出たような気がして、うれしかった。

緊急事態宣言の発出中、ぼくは「接触機会の8割減」を律儀に守り、車で通勤する機会を増やしていた。自宅から会社まで、だいたい車で30分ほどかかる。そして車の運転中はたいてい音楽を聴いている。

が、そういう運転中にも容赦なく「思いつき」は降りてきた。これは寝起きの数倍タチが悪く、どうがんばってもメモをとることがかなわない。そして「いいこと思いついたぞ」とそのことを考えていても、人の思考とは千々に乱れ散っていくもので、会社や自宅に到着するころにはすっかり別の考えが頭を占拠していたりする。音楽なんか流していれば、なおさらそうだ。

緊急事態宣言も解除された。これからふたたび、電車通勤の日々に切り替えていこうと思う。いつ降ってくるともしれぬ「思いつき」を、ちゃんとメモできる準備を整えておこうと思う。

自分の記憶力は、どんなにみくびっても過ぎることがない。これは忘れないと思ったことほど、片っ端から忘れていく。

メモ帳とはぼくにとって「目に見える海馬」なのだ。