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髪を切る、ということ。

きのう、髪を切った。

ぼくの髪は短いので、なるべく月に一度、最低でも二ヶ月に一度は散髪しないとみっともないことになる。そして残念ながら、ぼくは美容院という空間が、あまり得意ではない。気を遣って話しかけてもらうほど、なんだか申し訳ない気持ちになっていく。「こんな俺ですみません」の自意識と、いまだ折り合いがつけられない。

なので、よく思う。そもそもなんで、ひとの髪の毛はこんなにも無制限に伸びていくのだと。犬や猫みたいに、あるいはまつげやまゆげみたいに、頃合いのいいところで止まってくれてもいいじゃないかと。

最近はあんまり見ないけど、むかしはよく「世界びっくり人間」みたいな番組があり、本があった。世界一背が高いひと。世界一背の低いひと。ものすごい数のピアスを開けているひと。ものすっごいからだが柔らかいひと。とんでもなく毛深いひと。そして、世界一髪の長いひと。

そんななか、いっつも不思議だったのは「世界一爪が長いひと」として登場する、印象としてはインドあたりのひとである。

棒のようにまっすぐ伸びるのでもなく、くるくる湾曲しながら全長数メートルという長さにまで伸びきった爪。ごはんを食べるのにも、洋服を着替えるのにも、おしりを拭くのにも難儀するに決まっている、その爪。


このひとは、なんでこんなことになっちゃったんだろう。なにがたのしくて、こんな難儀を選んでいるんだろう。爪や髪が「世界一」の長さになるまでには、きっと途方もない時間がかかるし「めちゃくちゃ長くて不便の極みだけど世界153位」みたいな、中途半端な期間も長かったろうに。見れば見るほど、考えれば考えるほど、不思議なひとたちだった。


ネアンデルタール人とかクロマニヨン人とか、あのへんのひとたちは、爪も髪もほどよいところで止まっていそうだなあ。「どこまでも伸びる髪」は、もしかすると人間であることの証、といえるのかもなあ。……まあ、こんな疑問もググれば一発で「へぇー!」って答えが出てくるんでしょうけどね。

ほんと、すみません。「髪を切った」から話が転がるかと思って書いてみたのですが、あんまり転がりませんでした。そろそろ仕事に戻ります。