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なんのゴールもない歩みを。

今年の春、あるインタビューを受けた。

note を毎日書くことの効能について問われたぼくは、正直に「なにもない」と答えた。

──なにか、仕事に生きているとか、効果は?

古賀:いまのところは何の効果もないです(笑)。書くのが楽しくなったとか、文章がうまくなったとか、あらたな自分を発見したとか、何もない。申し訳ないくらいに何もない(笑)。

「日本トップクラスのライターが、無料note記事を1500日以上更新し続ける理由」より

いま同じ質問をされても、同じ答えしか出てこないと思う。ただし、ここで大切なのは「じゃあ、書かない」を選ぶのか、「それでも、書く」を選ぶのか、なんだろう。

書くことに限らず、それを「お勉強」とか「練習」とか「トレーニング」とかの発想で考えているうちはたぶん、最終的に得るものも少ないのではないだろうか。たとえば、のんびりしたウォーキングがダイエットにさほど寄与しないことを知ったとき、「じゃあ、歩かない」を選ぶのか、「それでも、歩く」を選ぶのかは、その人の健康はおろか、人生そのものをおおきく左右する選択だと思うのだ。

いちおうプロのライターとしてごはんを食べている人間なので、「書かない理由」を挙げようと思えば、そのロジックなんかいくらでも思いつく。一方で「それでも書く理由」を挙げるのは、案外とむずかしい。「そこになんの意味があるの?」と訊かれたら、とくにないのだから。



いやー、年末が近づくと毎年、「おれはいつまでこれを書くんだろう?」の問いが頭をよぎるんですよ。それで「とりあえず10年」って思ってるんだけど、10年やったからって、目に見えてなにかが変化するわけでもないんですよね。まあ、だからこその「それでも、書く」なんですけど。

ゴールや目標をほしがる自分が、ちょっと邪魔だなあと思っています。ただのウォーキングに、ゴールなんてないのにね。