締切がじゃまするわたしの日常。
ライターにかぎらず、人は常時なんらかの締切を抱えて生きている。
納期ということばは締切そのものだし、農作物の種を蒔いたり刈り入れたりにだって、締切はあるだろう。洗濯機をまわす、皿を洗う、掃除機をかけるなどの家事全般にも「さすがにそろそろヤバイ」という限界があり、締切がある。わが家でいえば、犬の散歩にもやはり、締切が存在している。ことばが少し特殊なだけで、締切は別に作家やライターの専売特許ではないのだ。
しかし、これはライターの特殊な心性なのか、ぼくの愚かしい心性なのか、おおきめの締切を抱えて生きているとどうしても、あの強迫観念的なひと言があたまを占領してしまうのだ。
つまり、「そんなことやってる場合じゃない!」の愚が。
締切に追い詰められたぼくは、風呂にも飯にもトイレにも「そんなことやってる場合じゃない!」を感じ、必死でそれをがまんする。まだまだ締切まで余裕があるときだって、たっぷりと寝坊したり、ゆっくりと本を読んだり、ふらっと映画館に入ったりのもろもろはすべて、「こんなことやってる場合じゃない!」のひと言に却下されてしまいがちだ。
そして最近気がついた。ぼくがもっとも直接的に「そんなことやってる場合じゃない!」の犠牲を受けているのは、趣味だの余暇だの学びだのの、ゆとり全般ではない。もっとわかりやすく自分をダメしているもの、それは……
掃除、なのだ。
机の上が散らかってきたな。どこになにがあるかわからないな。このへんのゴミ、そろそろ捨てなきゃな。そんなふうに思った美しい古賀史健に対し、汚泥にまみれた締切クソ野郎の古賀史健が一喝する。
「そんなことやってる場合じゃない!」と。
結果ぼくは掃除や片づけを先送りし、悪臭ふんぷんたる締切クソ野郎に成り下がっていく。
えーと。きのう久しぶりに掃除の真似事のようなことをして、いまオフィスが「掃除中」という、もしかしたらいちばん野放図な状態になっていて、来週なんとかしなきゃなあ、と思っている、それだけのお話です。
うん。締切より大事なもの。それは掃除だ。