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サッカーを「点取りゲーム」と考えず。

ああ、これだったら伝えられるかもしれない。

昨夜のサッカー日本代表、チュニジア戦を観ながら思った。サッカーを敬遠する人たちはしばしば、「なかなか点が入らないからつまらない」と言う。おっしゃるとおりである。得点のカウント方法が違うとはいえ、バスケットボールのように何十点と入る試合は、まずありえない。そしてスコアレス、つまり互いが1点も奪えないまま試合が終わることもしょっちゅうだ。得点シーンを最大のカタルシスだとした場合、サッカーはめったにカタルシスのやってこないスポーツにも見える。

しかしながらサッカー好きにとっては、「なかなか点が入らない」ことがおもしろいのだ。ばかすか何点も入ってしまう試合はいかにも大味で、スリルに欠ける。そしてそもそも、大事な大事な1点に至るまでの「組み立て」がおもしろい。

そういう「組み立て」を理解するにはまず、11人のポジションと役割を理解する必要がある。ここだ。このポイントさえクリアしてしまえばサッカーは俄然おもしろくなるのだけれど、どうにもこれがむずかしい。

たとえばおおきく「守備の人」と「攻撃の人」とに分類する。もちろんそれは正しい分類なのだけれど、サッカーには「中盤」と呼ばれるポジションの人たちもいる。さらに中盤(ミッドフィルダー)は前と後ろに分かれ、前にいる人たち全般を「攻撃的ミッドフィルダー」と呼び、後ろにいる人たちを「守備的ミッドフィルダー」と呼んだりする。さらには守備的ミッドフィルダーは一般に「ボランチ」と呼ばれる。ああ、面倒くさい。

しかも厄介なことに、現代のサッカーにおいては「全員で守って、全員で攻撃する」が一般的で、たとえば「おれは攻撃の選手だから守備はしない」なんて理屈は通用しなくなっている。ゴールを守るキーパーでさえ、最後列でのパス回しに(手を使わずに)参加したりする。「攻撃陣」「守備陣」と、むかしほど簡単に区分できなくなっているし、その目で観ていたらあまりおもしろくない。

そこで、サッカーのことを「点取りゲーム」だとは考えず、「バンドのようなもの」だと捉えてみてはどうだろうか。


たとえば、点取り屋であるフォワードは、フロントマン。すなわちボーカリストである。華麗なテクニックでゲームを彩り、圧倒的な人気を誇るミッドフィルダーは、ギタリストである。要所を締め、ゲーム全体をコントロールするボランチは、ベーシストである。試合を下支えし、ときに前線へと張り出してくるディフェンス陣は、ドラマーである。

こう考えると、それぞれの役割や向いている性格、そしてゲームを観るときのポイントなどもわかるのではないか。だって、長らく日本代表のボランチを務めてきた長谷部誠選手は、どう考えたってベーシストだろう。キングカズにいちばん似合っているポジションは、ボーカリストだろう。いまをときめく久保建英選手や三笘薫選手は、ギタリストだろう。そういうバンド的な11人が、一体となって奏でる音楽。それがサッカーなのだ。こりゃあいい。これだったらみんなわかってくれる。サッカーの醍醐味を、直感的に理解してくれる。


……と、そこまで考えて気がついた。

それも「バンド」が音楽の主役だった時代にしか通用しない比喩だよなあ。EDM(エレクトロニック・ダンス・ミュージック)とかが大好きな若い人たちからすると、このたとえ自体が「それってドラゴンボールでたとえると、どういうこと?」の迷宮なのかもしれんなあ、と。

うーん。比喩ってむずかしい。