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とにかくそう決めるのだ。

こんなぼくでもときどき、人前でお話しさせていただく機会がある。

セミナー的なものだったり、純然たる講演会だったり、トークセッションと銘打たれたものだったり、いろいろだ。ぼくと直接に知り合いの方であればたぶん、ぼくがそういう場をあまり得意にしていないと理解してくださるだろう。しゃべることが苦手だから書く仕事に就いているのだし、たとえば結婚式のスピーチをさせて老若男女が集う場を盛り上げられるタイプでも、おそらくない。それゆえ少し前までは、講演会やセミナーなどに招待されても「困ったなあ」「苦手だしなあ」「つらいなあ」と思っていたし、そう口にすることも多かった。

しかしこれ、ぜったいにダメなのだ。やっちゃいかんし、思っちゃいかんことなのだ。

だってそうだろう。お客さんからすれば、せっかくの貴重な時間を——ときにはお金をも——使って講演会やらセミナーやらに参加しているのに、肝心の登壇者が困り顔でやってきて、自信なさげにぼそぼそとしゃべる。そんなイベント、おもしろいわけがない。

しかも、謙遜にせよ自虐にせよ自嘲にせよ、あらゆる「へりくだり」のことばや仕草は、他者への敬意から身を屈めているのではなく、おのれの保身のみを考えて発せられるものである。つまり「いやあ、人前でしゃべるのは苦手なんですよねー」は謙虚な人のことばではなく、自己保身を図っている人のことばなのだ。

というわけで、ある時期からぼくは決めた。

人前でしゃべるのが好きだ。少なくとも苦にはならない。「得意」かどうかは知らない。それは聞いた人が判断することだ。しかしながら自分としては好きだし、苦にならない。ほんとのほんとにそう思っているかは別として、そう思うことに決めた。そう思ったのではない。そう思うことに「決めた」のだ。決めたからにはもう、「そう思っている」。


ライターをめざしている人だって同じだと思う。「自分は書くことが好きなんだろうか?」とか「自分はこの仕事に向いてるんだろうか?」なんて考えたところで、答えは見えてこない。まずは決めること。自分はこれが好きなんだと決める。これに向いているんだと決める。決めてしまえば文章から、自信がにじみ出てくる。不安なままに書かれた原稿がおもしろくなる可能性は限りなく低いので、まずは迷いのない、自信にあふれた文章をめざす。そのために好きだと決める。結果としていつしか、ほんとに好きになったり、得意になったり、この仕事以外の道がありえないような自分になっていく。

自分で決められるもののうち、もっとも大事なのは「自分のこころ」なんだ。決心って、そういうことだよね。