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犬のいる暮らし。

ひさしぶりに在宅で仕事をしている。

家にいて驚くのは、犬の睡眠時間だ。ごはんや宅配便の来訪時以外のほとんどを、惰眠に費やしている。朝食後に「あら、寝ちゃったか」がはじまり、昼過ぎまで「まだ寝る?」の驚きがあり、水飲みやトイレをすませたあとの「また寝る?」の呆れに至る。

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週末、犬を連れて朝から遠出したりすると、帰宅後は揺さぶっても起きないくらいにぐうぐう眠るのだけど、あれは遊び疲れた姿などではまるでなく、とるべき睡眠が足りていないだけの姿なのかもしれない。まったくぜいたくなご身分だなあ、うらやましいことだよなあ、と思う。

けれども一方、同じ空間に安心しきってぐうぐう眠る生きものがいるのは、たいへん気持ちのよいものだ。この時間、この平穏、この幸せを、ぜひとも守ってあげたい、と思わせてくれる。


ぺだるを迎え入れるよりも1年以上前、ぼくは「犬がほしい」という内容の note を書いた。

より具体的には、「犬のいる暮らし」がほしい、と書いた。その願いをかなえるために、翌年引越したくらいだ。

いま、犬がほしいんですよ。愛玩のペットがほしいのではなく、犬を所有したいのではなく、ただ「犬のいる暮らし」がほしい。犬と歩く朝の公園、犬と眺める景色、犬がくっつく足先の温度。

当時はもっぱら、毎朝の散歩なんかをイメージしていた。ある意味幸せの象徴として、犬と一緒に公園を歩く姿なんかを想像していた。けれども実際に犬と暮らすようになってから、ただ彼が「いる」ことのありがたさを、身にしみて感じる機会が増えてきた。

一緒になにかを「する」っていうよりも、特別なにかをするわけでもなく、ただそこに「いる」存在。「いてくれる」存在。

家族はもちろん、友だちにしても、会社の仲間にしても、いちばん求めているのはそこなんじゃないのかなー、と思うのだ。ぼくの場合は。