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長大なコラム集としての辞典。

無人島に持っていく一冊。

インタビューやアンケートでしばしば問われるこの質問、あなたならなんと答えるだろうか。もっとも無難なのは、古典文学である。『源氏物語』でもいいし、『アンナ・カレーニナ』でもいいし、『ユリシーズ』や『失われた時を求めて』でもいい。厳密にいうとどれも「一冊」ではないけれど、そこもまあ「一作」ということで許されるだろう。

これら古典よりもかっこいいのが、辞典である。「辞典はわたしにとって最高の読みものであり、どれだけ読んでも飽きることがないだろう」という態度である。そしてこの場合の辞典は、広辞苑よりも日本国語大辞典であったほうが望ましい。


ある世代の家庭には、訪問販売で買ったと思しき百科事典セットが置かれていた。ご多分に漏れず昭和50年代のわが家もそうで、本棚はないのに百科事典だけが全巻揃っている家庭で、ぼくは育った。そして読みものに飢えていた小学生時代のぼくは、ひまさえあれば百科事典をめくっていた。以前、堀江貴文さんに取材したとき、まったく同じことを堀江さんもやっていたと知り、おおいに感心したものだ。堀江さんはインターネットに出合ったとき、幼少時代の百科事典全巻を思い出したという。ぼくはインターネットに出合ったとき、タワーレコードのフロアを思い出した。幼少期に同じだけの経験をしていながら、その「点」をインターネットという「点」と結びつけて考えることが、ぼくにはできなかった。

さてさて。そういう話がしたかったのではなく、最近「読みものとしておもしろい辞典」をひさしぶりに入手した。

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ぼくは英語が苦手だし、これからお勉強していこうという気も、正直まったくない。この和英辞典についても、単語やフレーズを暗記する気はさらさらない。

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それでも読んでいて、おもしろい。

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どの項も、ちいさなコラムを読んでいるようなたのしさがあり、発見がある。そしてこういうものをパラパラめくるのは、「引く」や「検索する」の辞典アプリにはないうれしさがある。

無人島に持っていく一冊ではないものの、机に置いててたのしい一冊であることは間違いない。長大なコラム集として、ほんとオススメです。