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きのうのタクシーで考えたこと。

遅くまで仕事をした昨夜、タクシーで帰宅した。

タクシーの運転手さんとはもともと、運転のプロであり、道路情報のプロであるはずだ。目的地を告げると、渋滞情報などを勘案しながら、ときに地域猫ばりの裏道を使って最短距離で乗客を送り届ける。「5時までに武道館に着きたいんですけど、間に合いますか」みたいなリクエストに対しても、道路交通法のギリギリまで攻めながら乗客の希望をかなえようとする。そういう運転と道順のプロが、本来のタクシー運転手さんである。

しかし、カーナビゲーションシステムの誕生と普及によって、タクシーを運転するのにかならずしも道路情報のプロである必要はなくなっていった。最短ルート、最新の渋滞情報、そして現在走っている場所、すべてカーナビが教えてくれるのだ。

となると、タクシー運転手という職業は、運送や運搬の仕事というよりも、より「接客業」に近づいていくのではないかと思う。道をたくさん知っている運転手さんよりも、乗っていて心地のよい運転手さんが、「いいタクシー運転手」なのだ。


その意味でいうときのうの運転手さんは、まあ最悪だった。

車内にいやな体臭が立ち込めているのも嫌だったけれど、なによりストレスフルなのは、その舌打ちだった。時計を見ながら測ったわけではない。しかし体感的には10秒に一度くらいの感覚で「チッ」と舌打ちする。前後左右の車に対し、聞こえるはずもない舌打ちによって不満や苛立ちを表明する。

舌打ちとはその文字のとおり、「舌をつかった殴打」である。

短気で暴力的な人が机や壁を叩くように、舌を打ってその苛立ちを表明し、周囲を威嚇し、ストレスを解消しようとする。聞かされるこちらは、きわめて不快になり、不安に駆られ、気後れしたり、腹が立ったりする。


かく言うぼくも、ムッとしたとき舌打ちしてしまうことがある。してしまった瞬間、「ああ、おれはいま机や壁を叩くのと同じことをしたんだ」と思うことにしている。未熟者め、恥を知れ、と。

怒りっぽい人間とか、不機嫌な人間が嫌なのはみんな同じだろう。けれど、舌打ちばかりしてる人間はもっと嫌だなあ、いちばんなりたくないなあ、と思うのである。