
年末になると思い出すことば。
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この季節になったら、毎年思い出すことばがある。
24時間で消えてしまうことばなので、ここに正確な引用をすることができないのだけど、その断片はいまもインターネット上に残っている。
2014年12月25日の「今日のダーリン」で糸井さんは、「ばかはばれる」と書いた。そして「ばれてからが『おれ』なのだ」と。ちょうど会社をつくる直前だったこともあり、なんだかとても助けられたというか、それからの自分の指針となることばだった。
いま、ぼくはこんなふうに考えている。
わたしは「ばか」である。わたしだけではなく、きっと——すべての、と言っていいくらいに——たくさんの人は、等しく「ばか」である。そんなおのれの「ばか」をいかに受け入れるか。わたしはばかなのだ、という自己認識のもとに生きていくか。
ばかなわたしは、自分の「ばか」を隠そうとする。隠して、かしこぶろうとする。けれどもその「かしこぶり」は、かならずばれる。かなしく、おかしく、なさけないことに、多くの人は何度も「かしこぶり」に走る。そして、ばれる人にはちゃんとばれ、「ああ、またやってるなあ」とばかにされ、おのれのばかを塗り固めていく。
かしこぶる「ばか」よりも、かしこぶらない「ばか」のほうが、ほんの少しだけ救いがあるというか、ましな「ばか」だ。
うそをつかずに生きるのは、むずかしい。
けれど、「ばれたらこまること」を言わないように気をつけることは、できるんじゃないかと思う。だって、それ、かならずばれるんだよ?
ライター。バトンズ代表。最新刊『取材・執筆・推敲』。その他著書・共著に『嫌われる勇気』『古賀史健がまとめた糸井重里のこと。』『20歳の自分に受けさせたい文章講義』など。週日更新しています。http://www.batons.jp