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変化したもの、変化しなかったもの。

先日、たまたま前オフィスの近くまで出かける用事があった。

渋谷の宮下公園近く、「美竹通り」という通り沿いの古いビルに、昨年までオフィスを構えていた。ひさしぶりに見た宮下公園は、なんだかよくわからない姿に変貌を遂げようとしていた。

ここから、渋谷の再開発を嘆いてみせたり、異議申し立てをするほどの思い入れは、ぼくにはない。渋谷の街がどうなると知ったこっちゃないし、日本の都市計画にあれこれ苦言を呈するほどの知識も関心も、ぼくにはない。

なのにわざわざ宮下公園の変化について書いたのは、「ああ、半年が過ぎたのだなあ」と思ったからだ。


青山のあたらしいオフィスに越して、半年が経過した。まだ不慣れなところも多い街だけれど、いまのところたのしく通勤し、たのしく働いている。なんだかずっと前からここで働いているような気もするし、つい最近越してきたような気もする。あたらしい住所はすらすら暗唱できるようになったものの、あたらしい郵便番号にはまだ自信がなかったりする。長いのか短いのかよくわからない半年間が、ただ過ぎている。

けれども半年あれば、街は変わる。宮下公園もこんなことになる。同様に人も、あるいは会社も、半年や一年でがらっと変わってしまうのだろう。なんとなく「変化=いいこと」のように捉えている人は多いものだけれど、悪いほうへ変化する可能性も、当然ある。


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高校を卒業する直前、ぼくはホテルの厨房でアルバイトをしていた。そこで知り合った同学年の女の子3人組と、なかよくなった。3人のうち、いちばん華奢でおしゃれだったショートカットの女の子——もう顔も名前も忘れてしまった——は、デザイン系の短大に進むのだと言っていた。あるときの帰り道、彼女と一緒に駅までの地下道を歩きながらぼくらは、お互いの将来について語り合っていた。

「将来、なんになりたい?」

聞かれたぼくは、自分がずっと願っていた「映画監督」と答えることがなぜだかできず、思いつきのように言った。

「まだわからんけど、スーツにネクタイ締めるような仕事は嫌やね」

「わかるー!」

すれ違うスーツ姿の大人たちをあざけるように、ぼくらは笑った。のちにメガネ屋さんに就職し、ネクタイを締めなきゃいけなくなったぼくは、あのときの地下道、甲高い声でけらけら笑っていた無敵の自分たちを、何度も思い出した。いかにも子どもじみた「なんでもいいからネクタイを外したい」との思いは、ずっとあったような気がする。

変化したものと、変化しなかったもの。半年ぶりの宮下公園で、急に思い出したのだ。