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なんでもない金曜日に。

金曜日である。

タクシーに乗ると、いまでも「きょうはハナキンですからね〜」なんて語りかけてくる運転手さんがいる。ちゃんとした会社で働いた経験を持たないぼくは、ハナキンが古い流行語なのか、それとも一般企業にはいまでも残ることばなのか、じつをいうとよく知らない。もっと情けない話をするなら、部長、課長、係長、の位はわかっているけれど、そこに専務や常務や次長などが入ってくると、どういう順に偉いのか、よくわかっていない。受けとった名刺にそう書いてあれば「偉い人なんだろうなあ」と思うだけである。

というのは蛇足であって、話したかったのは金曜日である。

ぼくの社会人生活は、メガネ店の店員としてスタートした。ワイシャツの上に制服であるベストを着込み、お似合いのフレームをすすめ、近視や乱視の検眼をし、専門の機械でレンズを削り、削ったレンズをフレームにはめ込んで、お客さんの耳や鼻のかたちに合うようフィッティングをする。それがぼくの仕事だった。

接客業であるメガネ屋さんにとって、金曜の夜は稼ぎどきである。いわんや土曜や日曜は平日のマイナスを取り戻す一大決戦である。短かったとはいえメガネ屋さん時代、ぼくは金曜日も土曜も日曜も、一度として休みをとったことがない。たしか、火曜日がぼくの休日で、週休一日制だった。


その後、どういう流れかぼくはライター業に転身した。

接客業ではないにもかかわらず、やはり金曜日は「いえーい。休みだぞー」の号砲が轟く日ではまったくなかった。むしろ「やっべえ。週明けが締切だぞ」のカウントダウンがはじまる日で、ぼくにとっての休日は、曜日とはまるで関係のない、「脱稿した翌日」だった。


そして現在、うちに犬がやってきてからは、なるべく土日を休むようにしている。さらにまた、この note の更新も土日はお休みしているので、この歳になってようやく金曜日の味わいを知りはじめている。


漱石先生の例にならって、I love you を「金曜日ですね」と訳してもいいんじゃなかろうか、なんてことを思っている。