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工夫と炊飯器

ここ5年くらいでしょうか。炊飯器を使ったレシピを見かける機会が増えてきました。炊き込みごはんの類いではなく、豚の角煮など、純粋なおかずを炊飯器でつくっちゃおう、というレシピです。カレーやシチューはもちろんのこと、スパニッシュオムレツだのコンフィだのといったおしゃれメニュー、さらにはスポンジケーキまで、どれもこれもうまそうです。

決して広くはない日本のキッチンスペースに、あれだけの存在感をもって鎮座する炊飯器。その用途を白米だけに限定するのはもったいないし、今後もいろんなメニューが開発されるんだろうと思います。

ただ、ちょっとだけもったいないなあと思うのは、最近の炊飯器に「ケーキモード」やら「煮込みモード」やらの機能が付属し、炊飯器というよりも多機能電子釜の様相を呈しているところ。

なんて言うんでしょう、やっぱり炊飯器レシピって「炊飯器でこんなことができちゃった!」の驚きとよろこび、どうだいこのアイデア、な感じが楽しいんじゃないかと思うんですね。

町田康さんの短編集『権現の踊り子』に、あらゆることに「工夫」を試みて、工夫の果てに身を滅ぼす男を描いた「工夫の減さん」という短編があります。いやいや、工夫の果てに身を滅ぼすってなんやねん。と思われるでしょうが、実際にそういうお話なのです。それで、ぼくにとっては炊飯器レシピこそ「工夫」の最たるものであって、それがデフォルトの機能になってしまうと、便利ではあるけどおもしろくないというか、もっと工夫をさせてくれよ、という気持ちになるわけです。

クッキーの詰め合わせとかが入ってた缶に、裁縫道具を収納するとか。あるいはスニーカーの箱にDVDを並べるとか。100円ショップで買ったマグカップに植物を植えるとか。「工夫」と「節約」はけっこう隣り合わせにあるものなので、下手をすると貧乏くさくなってしまうのですが、学生さんからおばあちゃんまで、みんな「工夫」のたのしさは知り尽くしてる気がするんです。

カレーをレシピどおりにつくろうとせず、やたらオリジナルの隠し味を入れたがる男、というのも「工夫」そのものですよね。

えーと、先日ひさしぶりに「工夫」を禁じてレシピどおりのカレーをつくったら意外にうまかった。それが言いたかったのでした。回りくどいぜ、おれ。