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はじまりのことばについて。

『嫌われる勇気』の講演会ツアー、きのうは京都だった。

ぼくは福岡の出身である。そして福岡県の中学や高校はだいたい、修学旅行で奈良・京都を訪れる。うちの兄もそうだったし、従兄弟の兄ちゃんや姉ちゃんもそうだった。聞いたおぼえはないけれど、両親だって奈良・京都だったんじゃないかと思う。

ところがぼくの通った中学と高校は、なぜかどちらも奈良・京都を選ばなかった。生徒の自主性にまかせるとかなんとかの理由で、生徒たちの自主投票の結果、沖縄を修学旅行先に選んだ。中学も、そして高校も。

こう書くと、羨ましいと思う人もいるかもしれないが、シーズンオフである2月の沖縄だ。海水浴などできるはずもない、冬の海だ。しかも中学のときには沖縄まで船(もちろん二等船室での雑魚寝だ)で出かけ、多くの生徒たちは深刻な船酔いから嘔吐しまくり、船内にはずっと酸っぱい匂いが立ち込めていた。ひそかに恋心を寄せていた女の子が豪快に吐瀉する姿に、自らの愛を問いなおしたおぼえがある。高校のときには沖縄キャンプ中の中日ドラゴンズと宿舎が同じになり、当時大人気だった豪腕ピッチャーY投手にサインを求めたら、冷たくあしらわれた。

その後も、仕事やプライベートで奈良・京都を訪れる機会はほとんどなく、ぼくは日本人として大切なこころを知らないままおじさんになってしまったような申し訳なさを抱えて生きていた。なんといっても奈良の大仏をいまだ見たことがないのだ、ぼくは。

そんなぼくが頻繁に京都詣でをするようになったのは、『嫌われる勇気』の企画が浮上してからのことである。京都にある岸見一郎先生のお住まいに、せっせとせっせと足を運んだ。行きの新幹線では「なにを、どう訊いていこうかなあ」と考え、帰りの新幹線では「これをどう書こうかなあ」と考え、ぐるぐる考えをめぐらせるうちに次の取材で訊きたいことが浮かぶ、まったくしあわせな新幹線の旅だった。


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きのう、同行してくれたダイヤモンド社の書籍編集局長・今泉さんからうれしい報せがもたらされた。ドイツ版のAmazonで、『嫌われる勇気』のオーディオブック(Audible)が大ヒットを記録し、先ごろ10万ダウンロードを達成したというのだ。向こうでのオーディオブック市場がどんな感じなのか詳しくはわからないけれど、単純に快挙だと思う。

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(現在1位を独走中で、2位は『幸せになる勇気』とのこと)


対話篇形式を採用している『嫌われる勇気』と『幸せになる勇気』の両作は、オーディオブックに最適な本ではないかと前々から思っていた。それもあって今回の『嫌われる勇気』講演会ツアーでは、オーディオブックの音源を数分間会場で流し、その内容を受けて講演に入るスタイルを採らせていただいている。

ときどき、「嫌われる勇気のなかでいちばん好きな一節は?」と訊かれる。

公的な答えとしては、アドラーの思想をあらわす「すべての悩みは対人関係の悩みである」や「自由とは、他者から嫌われることである」あたりになるのだろうけれど、ものを書く人間としていちばん好きなのは、冒頭も冒頭、導入の第一声として青年が述べる「では、あらためて質問します。」だ。

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あらためて質問するということはつまり、もう哲人と青年の議論ははじまっている。試合開始のゴングは鳴らされている。その闘いの場を、読者は思わず覗き見してしまう。見てしまったからにはもう、目が離せない。徐々に熱を帯びていく議論を見守り、両の目を見開き、顔を真っ赤にして憤慨し、声援を送り、ため息をつく。

そういういっさいがっさいが、冒頭の「では、あらためて質問します。」によって導かれる。この導入は対話編だからこそできたものだし、ぼくはもう二度とこれを書けない。

で、じつをいうとこれ、テクニックとしてこのような導入になったのではなく、ほんとうにこんな出会いだったのだ。『嫌われる勇気』は10年以上の時間をかけて実現した企画であり、アドラー関連の和書はほとんどぜんぶ読み尽くしたうえで、アドラーについて考え尽くしたうえで、ぼくは京都に出かけたのだ。あらためて訊きたいことがある、と。

講演会を通じて、あらためてこの本やアドラーを考える機会ができている。なるほどなあ、と思えている。それはなんだかとても、しあわせなことだ。


次の講演会は2月1日(土)、金沢です。