見出し画像

フリーランスの12月。

きっとこれは、おれがフリーランスだからなのだ。

長らくぼくは、そう思うことで自分を慰めてきた。たとえば就業時間。そこから導き出される就寝時間。土曜日や日曜日のとらえ方。または大型連休という概念。給与、さらには賞与なるものの存在。賃貸住宅入居契約時の、社会的信用。

フリーの立場で生きていると、いろんなものが会社勤めの方々とは違ってくる。ぼくは24歳のときにフリーになったのだけれども、それはかっこよく「独立」したのではなく、社長とケンカしてクビになっただけだ。会社員であり続けることがかなわず、フリーの立場に落ちぶれたとも言えるわけで、フリーのデメリットはすべて甘受しながら生きてきた。

そして12月、あるいは4月。

ぼくは「これもきっと、おれがフリーランスだからなんだろうな」と自分を慰める。しょうがないよ、そういう身分なんだから、と。


忘年会と、お花見である。

世間の方々が忘年会に浮かれ、お花見で羽目を外しているとき、ぼくはそこにいない。ユニクロのフリースなんかを着込んで、ひとり仕事場でパソコンに向かっている。そりゃ、たしかに仕事が忙しくてパソコンに向かっているのも事実なんだけれど、そもそも誰からも声がかからないのだ。あんなにたのしそうな忘年会やお花見に、ほとんど誘われないのだ。なぜってぼくはフリーランスであり、誰の部下でも上司でも同僚でもないから。おそらく忘年会やお花見は、会社の皆々さまとやるものだから。


それがウソであることは、もちろんわかっていた。たとえフリーランスの身であっても人気者は、ちゃんと声がかかるのだ。ぼくが誰からも声をかけてもらえず、カップうどんをすすりながらパソコンのディスプレイを眺めているのは、フリーランスであることとまったく関係のない、おれ個人の人望、もしくは人気のせいなのだ。

……と気づいた夜のことを、さきほど来月の忘年会のお店をさがしながら思い出したのでした。


もう12月ですねー。