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むかしには帰ることができない。

冬の相棒といえば、布団乾燥機である。

わが家の寝室に、暖房はない。いやエアコンは設置されているのだけれども乾燥を嫌う自分はよほどのことがないかぎり、自宅でエアコン(暖房)を使わない。代わりに使うのが、布団乾燥機である。就寝の10分前、20分前くらいにセットしておくともう、大浴場におもむく旅館客のようなウキウキで冷えた寝室に向かうことができる。ふっくらと暖気を含んだ布団は、まさしく温泉である。しかも温泉と違ってのぼせることもなく、いつまでもぬくぬくのなかでごろごろすることができる。存分に暖まった布団に包まれているかぎり、ほかの暖房はいらない。

以前に尊敬するある方が、科学技術全般の定義として「不可逆であるもの」といった意味のことを述べられていた。科学技術によってもたらされる「利便」は不可逆的なもので、一度それを経験してしまったら決して元に戻ることはできない。それゆえエネルギー問題にせよ環境問題にせよ、「むかしに帰ろう」のメッセージはお題目以上の効力を持ちえず、「もっといいなにか」を発明していく(科学技術を発展させていく)しかないのだ、といったお話だった。

もちろんその方は人類全体の、地球全体の未来に関わるような規模感でそうおっしゃっていたのだけども、たしかに布団乾燥機の利便は不可逆的だ。なんらかの理由で「布団乾燥機のなかった時代に帰ろう。あのころの青春を取り戻そう」と言われたとしても、ぼくは布団乾燥機のある現在を選ぶ。

まあ、布団乾燥機にかぎらず、たとえばパソコンやスマートフォンだって、不可逆的な利便である。90年代の後半にはぼくも自作ホームページなどをつくっていたし、2010年代初頭に少しだけブログをやったこともあるのだけども、noteのユーザビリティ、すなわち利便を経験するとそれも不可逆なものとなっている。

一方でまた、むかしからある羊毛のセーターとかジーンズみたいなロングセラー商品は、いまだその利便を超えるもののない不可逆の先頭にあるのだろう。古典とは普遍であり、すなわち最先端でもあるのだ。


最近オフィスで「電気ひざ掛け」を使っているのだけれど、これはどうだろうなあ。とてもいい商品なんだけど、もうちょっとナイスな利便が、あるような気がするんだよなあ。

サムネの写真はむかしのぺだるです