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自分を大切にする、そのために。

毎朝ヤクルトを飲んでいる。

きっかけは、犬だ。うちの犬はむかし、しばしばおなかを壊していた。血液検査をしてみると、鶏や七面鳥、にんじんなどにアレルギーがあり、ごはんの種類を変えた。それでもおなかを下しぎみだったので乳酸菌まわりのことを調べていくと、ある獣医師さんのブログを見つけた。

そこには犬にも乳酸菌が有効であること、さらには家庭にてごく少量のヤクルトを与えられた犬をたまたま検査したところ、乳酸菌(善玉菌?)の量がハンパなかったこと、以来その病院ではごく少量のヤクルトを推奨していること、などが書かれていた。

真偽のほどはわからない。けれどヤクルトは人間にとってもいいものなのだろうし、味も好きだ。週に一度の宅配契約を交わし、ずっと飲んでいる。そして飲み残した小さじ半分程度のヤクルトを、毎日犬に与えている。

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犬の軟便の話、ヤクルトに含まれるカゼイシロタ株なる乳酸菌の話、その後の便通の話、が書きたかったのではない。朝の習慣が象徴するものについて書きたかったのだ。

思えばぼくは、朝の習慣というものを持たずにこの歳まで生きてきた。毎朝コーヒーを飲むとか、ミルクティーを飲むとか、トーストを食べるとかいうレベルの習慣さえ持たず、生きてきた。

いま、犬のトイレシートを交換したり、犬のごはんを準備したり、ヤクルトを飲んだり飲ませたりが、毎朝の習慣となっている。まあ、ほんとは人間のように犬が、自分で自分のごはんを準備したりトイレシートを交換したりしてくれればいいのだけれども、残念ながら犬はそれができるような手の形状をしておらず、ぼくがやるしかない。犬のさまざまなお世話から、ぼくの毎朝ははじまっている。

で、おもしろいのは「誰かのお世話」をするついでに、「自分のお世話」もするようになっていったことだ。犬にヤクルトを飲ませるため、自分もヤクルトを飲むようになったり、犬の散歩のことを考えるため、日々の天気予報をしっかり確認するようになったり、あるいは犬に毎日会うために徹夜仕事をしなくなったり。


ひとり暮らしをしていたころ、ぼくの部屋は散らかり放題だった。人と会う用事がなければ二日も三日も風呂に入らず暮らしていた。宅配ピザや近所のラーメン屋さんで空腹を満たし、運動やら健康やらのことをまるで考えていなかった。仕事ばかりに打ち込んで、自分のことを、とても粗末に扱っていた。そういう「自分のお世話」におろそかな生活は、「誰かのお世話」をしていなかった生活だったのだろうなあ、といまになって思う。

自分を大切にしたいのならば、まずは身近な誰かを大切にすること。大切にしたい誰かを見つけること。誰かのことを大切にしていれば、ついでに自分のことも大切にできる。

わたしはいつも、「ついで」なのだ。