助六とかっぱえびせん。
コンビニでときどき、助六ずしを買う。
いなりと太巻きがセットになった、あれである。舌先に油揚げが触れた瞬間の、ほどよい甘さ。じゅわっ、と染み出してくる煮汁の、咀嚼にうれしい水分。太巻きに入ったかんぴょうの、ごほうびみたいな甘み。いい感じに水分を出しつつも、食感のたのしいきゅうり。いいものを食べている気にさせてくれる、玉子焼き。腹持ちもよく、コンビニに売っているやつでもちゃんとおいしい。おにぎりとはぜんぜん違う満足が、助六にはある。
……と言って、アンケートの「好きな食べもの」欄に、助六ずしと書くことはない。それどころか普段はほとんど助六のことなど考えず、なんとなく通りかかったスーパーやコンビニで「これでいっか」と買う程度だ。他を押しのけるほどの大好物というわけでもなく、無意識のところでぼんやり好感を抱き、食べればいつでも好きなもの。それがぼくにとっての助六である。
で、思うのだ。きょう、思ったのだ。
ひとつの大好きなものを持っていることも大事だけれど、「無意識のところでぼんやり好感を抱き、食べればいつでも好きなもの」をどれだけたくさん持っているかが、その人の幸せをつくるのではないかと。いや、これは食べものにかぎらず。
たとえばきょう、タイムラインに「かっぱえびせん」の写真が流れてきた。おそらくもう何年と食べていないスナック菓子だ。何年も食べていないということは、「いちばん好きなスナック菓子」ではないのだろう。しかし、ぼくはかっぱえびせんが大好きだし、偶然に見かけた写真に、とても食べたくなった。仕事の帰り、コンビニに寄ろうと思っている。そして食べる自分を想像すると、ちょっとうれしくなる。
「ほのかな好感」を寄せる対象を、どれだけ持っているか。
助六であれ、えびせんであれ、本であれ、映画であれ、音楽であれ、その他さまざまの趣味であれ、あるいは人であれ、なんだってそうだ。
食べればうれしい、読めばうれしい、会えばうれしい。そういう対象をたくさん持っている人はきっと、幸せに生きていけると思う。鼻血が出るほどのよろこびや興奮よりも、日々のちいさな「あ、うれしい」がけっきょく気分を育て、機嫌を育て、人格を育てていくのだから。
じゃあ、どうすればそういう人になれるのか。やっぱり食わず嫌いをなくすことが大切だし、そのためには積極的にいろんなことをやってみる、チャレンジしてみる、自分の保守性を壊しにいく。それしかないんだろうなあ、と最終的には月並みな結論に落ち着きました。
かっぱえびせん、買って帰ろ。