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ひさしぶりに見た、あの夢の話。

これは、ぼくがバカボン大学生だったからなのか。

30代に入ってもしばらく、つまり大学を卒業してから10年ほどのあいだ、何度となく同じ夢を見ていた。「卒業式に向かおうと準備していたら、取っているつもりの単位を取り損ねていたことを知り、留年が決定してしまう」という夢だ。「絶望」というほどではないにせよ、踏みしめていた床が抜けてしまうあの感じは、何度味わってもイヤなものだった。そして目が覚めるたび、「ああ、卒業できてほんとうによかった。おれはもう二度とあんな不安に駆られずにすむ大人なんだ」と安心するのである。

あの夢を見なくなって10年あまり。きのう、ひさしぶりに似た夢を見た。


「何年も前に発売したと思っていた本が、じつはまだ発売されておらず、校了さえしていなかった。おれの手元でゲラが止まっていた」


という夢である。いやはや、内臓全体が汗をかくあの感じ、10年以上ぶりに味わうことになってしまった。

じつをいうと15年ほど前。これとよく似た失態を犯したことがある。とある著名人に取材をして本を書く、という仕事を引き受けた。無事におもしろく取材を終え、最終的に練りなおした構成案(目次の案)を編集者に送った。「こんな感じで行こうと思うのですが、いかがでしょう?」。メールには、それらしき文面を添えていた。編集者から「これでお願いします」の返事がきたら、執筆にとりかかる手筈を整えていた。ところが、待てど暮らせど返事がこない。1週間が過ぎ、2週間が過ぎ、どんどん時間が過ぎていく。当時のぼくは、年間15冊の本を抱える多重債務ワーカーだった。編集者からの返事をぼんやり待っているあいだに、ほかの本の締切がぐんぐん迫る。それでまあ、編集者さんの身になにがあったか知らないが、締切の迫ったほかの本から書いていくことにした。待ってる場合じゃなかった。

そうして2冊か3冊を書き終えたところで、件の編集者さんから電話がかかってきた。


編集者 「あの原稿、進捗いかがです?」

古 賀 「えっ?」

編集者 「さすがにそろそろかなー、とご連絡さし上げたのですが」

古 賀 「いや、構成案、送りましたよね?」

編集者 「ええ、いただきました」

古 賀 「あれでいいものか、お返事待ってたんですけど」

編集者 「オッケーですよ、もちろん」

古 賀 「えっ?」

編集者 「まさか、あのまま?」

古 賀 「いやいやいや、まさか〜」


けっきょくその本は1週間で書き上げた。いま思うと、たくさんのむちゃを経験してきたけれど、若き日のむちゃが貯金になり、その利息で食いつないでいる実感が確実にある。というか、いまでもぼくは、けっこうなむちゃをやり続けている。「むちゃ貯金」に励んでいる。ブラックな労働を推奨することはできないけれど、「むちゃ」はみんなに、すすめておきたいのだ。