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「あたらしいもの」が眠る場所。

いまとなっては嘘のような、けれどもホントの話。

ライターの仕事に就いた23歳くらいのころ、生まれてはじめてビジネス雑誌というものを読んでみた。与えられた主な仕事が、ビジネス雑誌に掲載する経営者インタビューだったからである。雑誌の表紙には、徳川家康だの武田信玄だの、あるいは坂本龍馬だのといった歴史上の人物が、映画看板のようなタッチで描かれていた。そして登場する経営者たちも「徳川家康のような我慢の経営を」とか「坂本龍馬のような若手が」とか、真顔で語っていた。おのれを戦国武将に見立てて戦略を語る。司馬遼太郎の描く戦国武将に経営を学ぶ。それが当たり前の時代だった。松下幸之助や本田宗一郎の物語もどこか、戦国武将的に語られていた。

郷に入っては郷に従え。右も左もわからないライターだったぼくも、高齢の経営者にインタビューする際は「社長は信長、秀吉、家康、どのタイプですか?」だとか、「御社はそこで勝海舟を見つけたわけですね?」とか、いまとなっては顔から火が出るほど恥ずかしい質問をぶつけていた。おっさんの読みものだと敬遠していた歴史小説も、雑談の資料としてたくさん読んだ。のんきといえばのんきな時代である。


すぐれた経営者に経営を学ぶ、という流れが一般化したのはたぶん、日産にカルロス・ゴーンがやってきた「ゴーン・ショック」以降のことだと思う。つまり1999年だ。このへんを契機にビジネス雑誌が大きく変わり、経営者の伝記ではない「ビジネス書」というジャンルが花開いていった。

そして戦国武将の別バージョンとして、プロスポーツの監督からマネジメントを学ぼうとする特集記事やビジネス書も増えていった。これであれば歴史小説を読んでいなくても理解できるし、ビジネス以上の真剣勝負だ。データを駆使する監督もいれば、人心掌握術に長けた監督もいる。ファンならずとも読んでいておもしろい。

しかしプロスポーツの監督には、わかりやすく寿命がある。たとえば今シーズン、阪神タイガースが優勝したとする。岡田監督に学ぶビジネス書が出版されたとする。ところが来シーズンの阪神および岡田監督がどうなるかは、誰にもわからない。もしかしたら断トツの最下位になって、解任の嘆願書が多数寄せられるような状況になっているのかもしれない。

そういう意味で、すでに「名将」の判が押された故・野村監督などは、編集者や出版社にとってとてもありがたい人物だったはずだ。仮に最下位になろうと名将の評価は揺らがないのだから。


先日、資料の一環として『韓非子』の解説書を読んだ。戦国武将に経営を学んでいた時代に書かれた本で、リーダーかくあるべし、みたいな話が盛りだくさんだった。そこに書かれていた逸話を紹介しよう。

「鰻はヘビに似ている。蚕はイモ虫に似ている。誰だってヘビを見れば飛び上がり、イモ虫を見ればゾッとするだろう。しかし、女たちは蚕を手でつかみ、漁師たちは鰻を手で握る。そこに利益さえあれば、誰しも恐怖を忘れて勇者に変身するのだ」

『韓非子』の作者・韓非によれば、人間を動かす根本動機は、愛情でも義理でも人情でもなく、ただ「おのれの利益」であるらしい。


いや、別に韓非子に絡んだ本を書くわけじゃないし、彼の意見に賛同するわけでもないんだけど、おもしれえなあ、と思ったんですよね。「戦国武将に経営を学ぶ」が当たり前だった時代の経営者たちを、どこか馬鹿にしていた自分を反省したというか。事例や説明の仕方が違うだけで、いまのコンサルタントさんたちが語ってる内容と同じだったりもするし、多くの場合はそれ以上の真理が含まれていて、話もおもしろいし。

「あたらしいもの」を「未知なもの」と言い換えるなら、古典や歴史のなかにこそ「あたらしいもの」は眠っているんだよなあ、浅学のぼくとしては。