見出し画像

カタカナのほうがいい場合。

クラスター、オーバーシュートに、ロックダウン。

俳句ではない。この数か月のあいだ、あらゆる場所で目にするようになったカタカナ語である。そしてなんとなくの流れとして、これらのカタカナは評判がよろしくない。聞き慣れないカタカナでしゃべらず、日本語で言え、というわけである。つまり、クラスターは「感染者集団」、オーバーシュートは「感染爆発」、ロックダウンは「都市封鎖」。日本語でそう呼んだほうがわかりやすいじゃないか、とのご意見である。

むずかしい問題だなあ、と思う。

カタカナで呼ぶにも、漢字表記にするにも、それぞれ一長一短がある。

迷いに迷った挙げ句、ぼくだったらカタカナを選ぶだろうなあ、と思う。


多くの日本人にとって、クラスターも、オーバーシュートも、ロックダウンも、聞き慣れないことばだ。はじめて耳にすることばであるかもしれない。そのためメディアで紹介する際には、用語解説のコーナーが設けられる。「クラスターとは、感染のつながりがある小規模な集団のことで〜」とか、「オーバーシュートとは、感染者が爆発的に増え、追跡や制御が困難になった状態を指し〜」とかいった具合だ。1回の説明では憶えてもらえないかもしれないが、くり返し何度も解説していけば、憶えてもらえる可能性がある。

一方、これをそれぞれ「感染者集団」「感染爆発」「都市封鎖」と呼んだ場合はどうか。メディアは立ち止まって用語解説をするだろうか。視聴者は、また読者は、その解説に耳を傾けようとするだろうか。

文字面でなんとなく意味が通じてしまうこれらの熟語は、わかったつもりのまま、なにも考えること・学ぼうとすることをしないまま、素通りされてしまう危険性がきわめて高い。

しかも、たとえば「都市封鎖」ということばから我々は、ベルリンの街を壁で囲うような、あるいは幹線道路を封鎖して人や物資の行き来を禁止するような、「都市そのものの封鎖」をイメージしがちだ。というか、都市封鎖の文字を正面から読めば、そうとしか読めない。しかし実際のロックダウンは「外出制限と都市機能の停止」くらいに訳すのが正しく、少なくとも壁を設ける式の「封鎖」とは違う。

都市封鎖という表現は「封鎖されるのは都市であって、都市のなかではなにをしてもいい」との誤解を招きかねず、いますぐにでも改めるべきだと、ぼくは思っている。ロックダウンは「都市」にかかることばではなく、「わたし」や「あなた」にかかることばなのだ。


……というような諸々を考えると、クラスター、オーバーシュート、ロックダウンの語を、毎回「何度も申し上げておりますとおり〜」とかの用語解説を交えながら使っていくほうがずっといい気がするのだ。日本語文のなかにカタカナ語(英語)が挿入されるだけでも、異物感が出て、立ち止まるものだし。