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知らないことばっかりだ。

どうせお前は犬のことばかり考えているんだろう。

最近のぼくをみていて、そう思われる方もいるかもしれないが、違う。そういうのを日本語では、下衆の勘繰りというのだ。あるいはよこしまな推測、邪推というのだ。犬のことではなくぼくはいま、新婚について考えている。

いま、家に帰るのがたのしい。できうるかぎりの早い時間に仕事を終え、家に帰りたくなる。こんな気持ち、はじめての経験かもしれない。もちろん家に帰れば犬が待っているからではあるのだけど、もしかしたらこの感覚、世間一般の新婚さんたちが感じているわくわくではないのか。そしてなぜ、かつては新婚さんであったはずの自分は、これを「はじめて」だと感じているのか。

思えば新婚当時、ぼくは家で働いていた。当時流行っていたことばでいうところのSOHO、つまり事務所を兼ねた自宅マンションの一室でお仕事をしていた。かばん片手に「行ってきます」と出かけることもなく、ほろ酔いで「ただいま」と玄関を開けることもなく、のっそり仕事部屋に入り、のっそりトイレに行き、またのっそり仕事部屋に戻り、眠みの限界まで原稿を書いて、這うように寝室に戻る。そんな生活を送っていた。

自宅と別に仕事場を借りるようになったのは数年後のことで、それとて自宅から徒歩3分とかからないワンルームマンションだった。そして新婚期から遠く離れた最近になって、ようやく電車でオフィスに通う人生、「行ってきます」や「ただいま」を口にする人生を歩みはじめたのだ。なるほどなあ、と思う。


会社員としての生をほとんどまっとうできないまま24歳でフリーライターになったぼくは、いろんなことを知らないままだ。

たとえば「会社や上司の悪口を肴に酒を飲む」という経験を、ぼくはしたことがない。それはぼくの清廉潔白な人間性のなせるわざではなく、単にそういう状況にいなかった、会社や上司とは無縁な人生を生きてきた、というだけの話だ。あるいは給料日のどんちゃん騒ぎ、ボーナスでの一喜一憂、会社の実施する健康診断、さらには「メーデー」にまつわる何事か、「ベア」への憤慨、みたいなことも、まったく知らないまま生きてきた。


バトンズという会社のなかで、そういう話題が出てきたら、なんだかおもしろいだろうなあ。みんなが会社やぼくへの不平不満を肴に酒を飲む、というだけでも。