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ぼくがいま、やるべきこと。

少しだけ意を決して、普段あまりしない話をしよう。

この3月から4月にかけて、なかなか原稿が進まなかった。聞き飽きた人も多いだろう。もう1年以上も前からぼくは、「ライターの教科書」的な本を書いている。書き続けている。その執筆ペースがここにきて、ガクンと落ちた。理由はやはり、新型コロナウイルスをめぐる諸々である。

これは大事な本なのだ、という意識は変わらない。自分にしか書けない本だし、自分が出さなければならないという不遜まじりの意識も、ずっとある。けれど、これが「いまやるべきこと」なのかというと、心許ない。いまやるべきことは、いましかできないことは、もっとほかにあるような気がしてしまう。

実際、いくつかの企画を考えた。各界の専門家にインタビューしていく企画だ。たとえば公衆衛生について。経済について。メンタルケアについて。各種助成金のあらましや申請方法について。note にあたらしいアカウントを設けて、「いま」とリンクしたコンテンツをどんどん掲載していくようなことをやったほうがいいんじゃないか。そんなことを考えたりもした。

考えれば考えるほど、いま取り組んでいる本が、いかにも不要不急な、のんきなものに思えてきた。

そしてまた、いつか緊急事態宣言が解除され、街のすべてが以前の姿を取り戻したときに、どれだけの人たちが「よっしゃー、本を読むぞー!」と本屋さんに殺到するのか、わからなかった。

たとえば飲食店に「よっしゃー、酒を飲むぞー!」「よっしゃー、肉を食うぞー!」と殺到する人たちの姿は、容易に想像がつく。というかぼくも、はやく飲みに行きたい。おすしを食べたい。コンサート会場や映画館なんかにも、みんな「よっしゃー!」と駆けつけそうだ。一方で、本屋さんはどうだろうか。本は、本屋さんは、お酒やお肉やライブや映画のわかりやすい「解除宣言」の迫力に、負けてしまわないだろうか。本は、本屋さんは、出版というシステムは、これからどうなっていくのだろうか。

段々、刊行が来年にずれ込んでもいいし、むしろずれ込んだほうがいいような気持ちにさえなってきた。気持ちは千々に乱れ、執筆ペースがますます落ちていった。


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きのう、『嫌われる勇気』と『幸せになる勇気』の2冊に重版がかかったと連絡が届いた。普段、ぼくは重版した際の部数について、極力書かないようにしているのだけれど、今回は書こう。『嫌われる勇気』に5万部、『幸せになる勇気』に2万部の重版がかかった。加えると『嫌われる勇気』は、この1月と2月にもそれぞれ5万部ずつの重版がかかっている。

いま、読まれているのだ。

あたらしい読者の方々が、いま、こういう状況のなかで、手に取ってくださっているのだ。

たとえばカミュの『ペスト』のような、現実(コロナ禍)とのわかりやすい接点を持った本ではない。それでもいま、これを必要だと思い、支持してくださっている方々がいるのだ。しかも、こんなにもたくさん。


自分の本であることをまったく抜きにして、飛び上がってよろこぶくらい、うれしいニュースだった。自分が「いま」やるべきことを、あらためて教えてもらった気がした。ぼくは、黙って、潜って、こつこつと、自分がほんとうに必要だと思うおおきな本を、夢中につくっていくしかないのだ。『嫌われる勇気』を書いていたあのときもそうだったように。それが「いま」やるべき仕事なんだ。


執筆中の原稿は、もう『嫌われる勇気』よりも長いものになっている。

おもしろいかどうかの判断はつかないけれど、あのときと同じかそれ以上の気持ちがこもっていることは間違いない。目の前の原稿が、急に輝きはじめた。自分がこころから「いい」と思える本をつくれば、かならず読者は応えてくれる。何年経とうと、かならず。そこはもう、信じきっていい。揺らぐ必要は、まったくない。


『嫌われる勇気』や『幸せになる勇気』の読者のみなさん、ほんとうにありがとうございます。みなさんの一人ひとりから、何度も救われています。

そして次の本の読者となってくださるみなさん、たのしみにしておいてください。すごい本が、できあがりつつあります。