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たったひと晩の冒険。

寝台列車、なるものにぼくは乗ったことがない。

松本零士さんの傑作『銀河鉄道999』の影響もあり、ぼくが子どものころ、寝台列車は大人気だった。それは「ブルートレイン」と呼ばれ、その音の響きもまた、ぼくは好きだった。どこか遠くへ旅すること。列車のなかで食事をとり、夜になれば眠ること。朝に目を覚ますと、見知らぬ土地を走っていること。ブルートレインにまつわるすべては、夢のなかの物語のように思われた。当時、半年間くらいの長期出張していた父を訪ねて母子三人で東京に向かうことになったとき、「ブルートレインで行こう。『あさかぜ』に乗って行こう」と駄々をこねたものの、わかりやすく却下された。いまでもまだ、たとえばシベリア鉄道に乗っての長旅にあこがれる自分がいる。きっと飽きたり不便を感じたりするのだろうけど、あこがれは消えないままだ。

深夜バスには当然、乗ったことがある。何度もある。はじめて乗ったのは、1997年のことだ。正確な数字を憶えているのは、第一回のフジロックに参加するため、深夜バスに乗り込んだからである。当時ぼくは福岡の実家に住んでいて、無職だった。天神のバスセンターで深夜バスに乗り込み、翌日新宿のターミナルに到着した。新宿駅に着いたものの、そこからどこに行けばいいのかわからない。ただ、新宿駅にはロックロックしい風体の兄ちゃんたちが多数おり、彼らはみな同じ方向へと歩いていた。「あいつらについていけばきっと会場にたどり着くのだろう」。完全なあてずっぽうで電車に乗り、ひとり胸を高鳴らせた。大冒険をしている確かな実感に、にやにやが止まらなかった。ぼくにとっての第一回フジロックは、天神バスセンターから記憶(物語)がはじまっている。


イベントごとやなにかで地方在住の若い人と会ったとき、「深夜バスで来ました!」みたいなことを言われると、それだけで「いいな!」と思う。飛行機や新幹線にはない冒険の要素が、深夜バスにはある。サービスエリアでのトイレ休憩。そこで買い込んだホットスナック。耳にねじ込んだヘッドフォン。流れる音楽。ぺちゃくちゃしゃべる女の子の横顔。ぱんぱんに膨らんだナップザック。やがて車内に充満する、気怠い空気。たったひと晩のことだけれど、ぜんぶが冒険だ。


バトンズ・ライティング・カレッジに「深夜バスで来ました!」みたいな人が現れたら、うれしいだろうなあ。東京のどこかから地下鉄で通う人たちの何倍も貴重な「冒険」を、経験できるんじゃないだろうか。

深夜バスのひとり旅って、ほんとに素敵なものですよ。若いうちに経験するそれはとくに。


(応募締切は2021年5月31日まで。課題作文があります)