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いい仕事に必要なもの。

はじめてアルバイトをしたのは、高校三年の冬だった。

博多駅近くの古びたホテル、その和食屋さんでぼくは働いた。そのお店が名物のようにして出している炊き込みごはんは、まるで炊き込みごはんではなく、ただの白飯に佃煮っぽい具材を混ぜた、まぜごはんだった。味噌汁や煮物にはかつおぶしを使わず、業務用の「魚粉」なる茶色い粉を使っていた。厨房にはあの害虫が這いまわり、社員のおじさんはそれを素手でつかまえ、流しに打ち捨てていた。洗剤がついたままの皿に、料理を盛っていた。高校生ながらに外食産業の裏側を覗いたような気持ちになって、外食するのがおそろしくなった。

大学に入って働きはじめたしゃぶしゃぶ屋さんは、まったく違った。厨房は清潔そのもの、例の害虫など一度も見たことがなかった。包丁の使い方、野菜の切り方、盛りつけの方法など、厳しく指導が入り、たくさんのことを教えてもらった。みんなたのしそうに仕事をしていて、ぼくもたのしかった。いつか大人になったら、ぼくもここでしゃぶしゃぶを食べよう。素直にそう思ったし、卒業後に何度かお客さんとして訪れた。外食産業への不信感が、きれいに拭い去られた。

あの違いはなんだったんだろうと考えているうちに、なるほどそういうことか、と思い至った。

最初のアルバイト先(ホテルの和食屋さん)にいた社員さんたちは、和食屋さんではなくホテルに雇われていた。そのため1階のパン屋さんに配置換えになったり、軽食を提供するカフェに駆り出されることもしばしばだった。ぼく自身、アルバイトの後期にはパン屋さんへの異動となった。

そうすると「このお店」への愛着や誇りのようなものがどうしても湧きにくく、たとえば掃除がぞんざいになる。もっとおいしくしよう、もっとよろこんでもらおう、という気にもならず、決められた手順で決められた時間だけ働いて、楽をすることばかりを考える。

一方でしゃぶしゃぶ屋さんは、親族経営だったこともあり、お店や料理への誇りに満ちていた。もっとおいしくしよう、もっと繁盛させよう、福岡でいちばんの名店になろう、という気概に溢れていた。その意識は末端のぼくらにも伝わり、たぶんアルバイトのみんなが「うちのしゃぶしゃぶがいちばんだ」と思いながら働いていた。


自分のやってる仕事に、誇りを持つこと。自分の所属する組織に、誇りを持つこと。そう思えるだけの組織をつくり、仕事をつくること。誇りってことばは少し仰々しいけど、いい仕事にそれは欠かせないものだと思うのだ。