「若いうちは数をこなせ」は正しいのか
フリーランスで働くことになったとき、ある方から「きた仕事はぜんぶ受けなきゃダメだよ」と言われた。フリーであることは、それくらい厳しいものなんだと。選んだり断ったりしてたら、声すらかからなくなるのだと。食いっぱぐれ、荒野をさまようのだと。
雑誌の仕事がメインだったころは、そのアドバイスを忠実に守った。くるものは拒まず、の精神で奮闘した。おかげで仕事が途切れることはなく、それほど儲かってもいないけどちゃんと食えてます、という状況が続いた。
ところが、ある時期からそれができなくなった。きた仕事をぜんぶ受けていたら、とてもからだが追いつかない。とくに本を書く仕事をはじめてからはそれが顕著で、後先考えずに受けまくった結果、体調を崩したこともあるし、いろんな方々にご迷惑をかけたこともある。
いまのぼくは、ピーク期の4分の1くらいしか、本を書いていない。
これは労働時間ではなく、冊数の話だ。いちばんヤバイときは年間15冊以上書いていた。当時とくらべてのんびり書いているわけではなく、たぶん1冊にかける労力が4倍になっている。
それで思うのだ。
「若いうちには数をこなせ!」のアドバイスって、ほんとうに正しかったのだろうか、と。たぶんぼくも、若いライターさんに「数」を求めたことがある。あれは正しかったのだろうか。
ほんとうに大切なのは「こなす数」ではなく、「考える量」だ。あたまから煙が出るほど考えたか。その「数」と「量」の違いがわからないまま、とりあえずのことばとして「たくさんやれ!」をアドバイスしてたんじゃないのか。
もっとも、「考えること」は、目に見えない。
サボろうと思えばいくらだってサボれるところが「考えること」の厄介さだ。腕組みでもして必死に考えてるつもりでも、なんにも考えてなかったり、ぐるぐるしてるだけのことも、大いにあるだろう。
それに対して「成果物の数」は、目に見える。
どれくらい真剣に考えたのかはさておき、少なくともサボっていたら数もこなせない。そういう次善策的な意味では、「若いうちには数をこなせ!」のアドバイスも正しいのかもしれない。
たぶん「数」も大事なんだろう。でも、いちばん大切なのは「考える量」だ。不誠実な人との仕事をたくさんこなしたって、消耗するだけですからね。
そこのところを、どう整理整頓し、道筋をつけていくのか。
せっかく会社をつくって仲間と一緒に働いてるんだから、なんとか答えを出していきたいです。
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