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ことばのいらない犬たちに。

古賀史健

こいつがことばを喋ってくれたらな。

動物と一緒に暮らす人間だったなら、一度はどこかで考えたことがある話だと思う。ほんとうはなにを考えているんだろう。ぼくの思いはどれくらい通じているのだろう。いま、なにをしたいのだろう。どんな気持ちで、きょういう日を生きているのだろう。訊いてもべつに、答えちゃくれない。ああ、1分でもいい、たったのひと言でもいいから、こいつがことばを喋ってくれたらな。何度も何度もそう思う。


思って思ってたどり着くのは、「ことばって不自由だな」のひと言だ。

犬たちは別に、ことばを必要としていない。お尻のあたりをくんくん嗅ぎ合ってみたり、鼻元に皺を寄せて歯をむいたり、それで唸ってみたり、吠えてみたり、そんなことだけで自分を語って相手を知って、じゅうぶん満足に生きている。ことばがほしいとも思っていないだろうし、思いが届いていないともたぶん、思っていない。


そういう、お尻くんくん的なこんにちわをすっ飛ばして人は、すべてをことばで済ませようとしてしまう。ぜんぜん万能じゃないことばを、まるで唯一の「わかり合いの手段」であるかのように、頼ってしまう。ライターの仕事をしていながらなにを言ってるんだ、と思われるかもしれないけれど、ことばを仕事にしているからこそ、ことばに頼らない表現にあこがれるし、最終的には犬たちのお尻くんくんにあこがれるのだ。


そういえば以前、犬の雑誌でこんなアドバイスを読んだ。

わるいことをした犬にお説教をしても、犬は反省したりできません。しょんぼりしているように見えたとしても、叱られているときの犬は「嫌な雰囲気だなあ」と思っているだけです。

犬と暮らす人間は、みんな憶えておくべきことばだと思う。そしてたぶん、叱られているときの人間もまた、「嫌な雰囲気だなあ」と思っているだけなのだ。

古賀史健
ライター。バトンズ代表。最新刊『取材・執筆・推敲』。その他著書・共著に『嫌われる勇気』『古賀史健がまとめた糸井重里のこと。』『20歳の自分に受けさせたい文章講義』など。週日更新しています。http://www.batons.jp