見出し画像

弱さと親しさ、そして信頼。

以前、糸井重里さんがこんなことを書かれていた。

ぼくは、犬(ブイヨン)が人(奥さま)に抱っこされている姿を見るのが、とても好きだ。ふだんは得意げに走りまわり、なんでも自分の思いどおりになるかのように振る舞っている犬が、散歩から帰ってくると(足を洗うために)浴室までおとなしく抱っこされていく。その、観念したように抱かれていく廊下の姿を、とても愛おしく感じる。——糸井さんはたしか、そこから「弱さ」と「親しさ」の関係について、論を進めていた。うろおぼえだけれども。

いまぼくも、犬(ぺだる)が誰かに抱っこされる姿を見るのが、とても好きだ。わが家で「れんこう」と呼ばれるその姿は、なんだかたまらなく愛おしい。暴れて飛び降りることもできるはずなのに、おとなしく「れんこう」を受け入れるぺだるが。


DSC_0039のコピー


「かわいげがない」とされる人たちがいる。

隙のない、理屈っぽい、杓子定規な人たちがおもに、そう呼ばれる。弱みをまったく見せない人、と言ってもいいだろう。ある場面ではぼくも、そんな人間になっているのかもしれない。

けれども、「弱み」を見せることが「親しさ」とつながっているのなら、つまり「信頼」とつながっているのなら、ぼくらはもっと弱みを見せられる人間であるべきなのだろう。弱みを見せられる誰かを、そんな関係を、つくっておくべきなのだろう。


そして「弱み」を「だらしのなさ」と言い換えるなら、ぼくがいちばんそれを見せている相手は、ほかならぬ犬なのかもない。犬といるときのぼくは、ほんとにだらしがない。

画像2

また犬と気兼ねなく Go To したいなあ。