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わたしの好きを、好きに語ること。

たぶん、高校生のころだったと思う。

なにかの雑誌で、「桑田佳祐の100枚」みたいな特集記事があった。桑田さん自らが選んだ「わたしをつくった100枚」だ。ビートルズやローリング・ストーンズ、ビーチ・ボーイズ、エリック・クラプトン、リトル・フィートなんかが入ってくるはもちろんのこと、たとえばスクリーミング・ジェイ・ホーキンスだとか、エラ・フィッツジェラルドだとか、あるいは坂本九さんだとか、なかなか「ロックの名盤100」には選ばれないような人たちのアルバムも選ばれていて、しかもそれぞれに魅力的な寸評が添えられていて、やっぱり桑田さんはすごいなあ、と思ったおぼえがある。

すごいなあ、の半分は「語れるほどに好きなアルバムが100枚もある」ことだった。当時、それなりに音楽ファンのつもりだったぼくだけれど、語れるほどに好きなアルバムとなると、50枚がせいぜいだったんじゃないかと思う。しかも、そのうち8枚がビートルズ、5枚がローリング・ストーンズ、みたいな、かなり偏ったセレクトになっていたはずだ。

やがて、バイト代という武器を手に入れたぼくは、阿呆ほどたくさんの CD を買いあさり、地元の中古レコード店のおじさんとひたすらマニアックな音楽談義を重ねる、いま思えばクソ生意気な大学生になっていった。「わたしをつくった100枚」じゃとても語りきれないマニアになり、好きな映画も、好きな漫画も、好きな小説も、どんどん「みんなが知らないほう」へ、つまりはサブカル的なほうへと向かっていった。

当時の自分について、ぼくはわりと「封印したい過去」のように思っているフシがある。あのころ聴いていた音楽はいまでも大好きだし、ああやってたくさんの音楽を——まるで旅をするように——聴けた自分はしあわせだったと思う。けれども嫌なスノビズムに染まっていたことも確かで、あのまま小銭を持ち続けていたら、だめなサブカルおじさんになっていたと思う。幸いにしてぼくは20代の一時期にこれ以上ないほどの貧乏に追い込まれ、小銭を要するサブカルチャーの集落からいったん退出することができた。以来、自分のサブカル成分を洗い流し、スノビズムを洗い流すことについては、かなり意識的に取り組んできた自覚がある。



格闘技ドクターの二重作先生からお誘いを受け、プリンスについてのアンケート記事に答えた。

二重作先生は、現役の医師として活動される傍ら、プリンスのすばらしさを後世に語り継ごうと、さまざまなプロジェクトに取り組まれている。マニア同士で集まってあれこれ語り合うのではなく、本気で、ほんとに、これからのプリンスファンたちへの種を蒔いている。それはもう「伝道」と言ってもいいくらいの真剣さだ。

それだけプリンスというアーティストを信じているのだし、プリンスから与えられたものに感謝しきれないほど感謝されている。そのまっすぐな姿は、見ていてとてもすがすがしい。あれこれ面倒くさいことは考えず、こういうふうに自分を表現すればいいんだ、と素直に思わされる。


まあ、なにが言いたかったかというと、自分が好きなものについて「ぼくはこんなふうに好きだよ」を書くことは、ほんとにたのしいものですね、という身も蓋もない話です。なるべくマニアックにならず、あたらしいファンの人たちに届くよう、けれどもプリンス好きが読んでもおもしろいよう、書いてみました。

歌詞の翻訳パートは、めちゃくちゃ端折った意訳なので、つっこまないでくださいね。