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ていねいな暮らし、ではなくて。

ちゃん、リン、シャン。

調べてみたら、1989年のことだった。ライオンからリンスインシャンプー、「ソフトインワン」なる商品が発売された。シャンプーするだけで、ちゃんとリンスの効果も得られる。もうシャンプーとリンスの両方を購入・使用する必要はない。薬師丸ひろ子さんの登場する印象的な CM、そして朝の洗顔ついでにシャンプーする「朝シャン」ブームもあいまって、けっこうな話題になったのを憶えている。

ああ、それにしても角川三人娘である薬師丸ひろ子さんや原田知世さんは、抜群に声がいいなあ。声の透明感だけは何歳になろうと衰えないものなあ。

閑話休題。

で、もちろん現在も販売されているこの商品、というか「リンスインシャンプー」というジャンルそのものについてきのう、風呂に入りながら考えた。

「効率」を優先して考えるなら、リンスインシャンプーはすばらしい商品である。大発明と言ってもいい。洗髪の手間が半分になるのだし、決して広いとは言えない日本の浴室スペースも、リンス一本分節約できる。

ところが、その後リンスインシャンプーが洗髪石鹸のスタンダードになっているかというと、ぜんぜん違う。多くの人はシャンプーとリンス(コンディショナー)を別個に使い、ヘアパック的な第三のトリートメント剤を常用する人だっているくらいだ。しかもこれは「髪は女の命」的な文脈でそうなっているのではなく、ぼくのような短髪中年でさえシャンプーとコンディショナーは別に使っているし、ビジネスホテルやスポーツジムに置かれたリンスインシャンプーを、どこかさみしく思ったりする。


これはなんなんだろうなあ。湯船のなかで考えた。いっちょ前に、なんちゃらという舶来バスソルトを投入した香り豊かな湯船のなかで、考えた。最近しばしば耳にする「ていねいな暮らし」というのとは、なんか違う。自分はまったくていねいな人間ではなく、どちらかと言わずとも雑な男だ。人の目さえなければ、麻婆豆腐やチンジャオロースをごはんにぶっかけて「丼」として食べたくなっちゃう男だ。

そんな自分であってもなんというか、「自分を大事にしてあげたい」のだろうな、と思った。自分にやさしくありたい。自分を粗末に扱いたくない。そういう気持ちがいちばんあらわれるのが、お風呂という空間なのかもしれないな。ひとまずそう結論づけて、湯船を出た。


うん。いま「ていねいな暮らし」の文脈で語られ、つくられ、提供されている商品やサービスって、「自分を大事にしてあげたい」ってことばに置き換えて考えると、また違った発展があるんじゃないかな。ていねいな暮らしを送りたいとはまるで思わない(というかその姿がうまくイメージできない)けれど、自分を大事にしてあげたいとは思いますよ、ぼくは。