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あのときの打ち合わせを振り返って。

2011年の夏だったと記憶している。

当時、星海社新書の編集長を務めていた柿内芳文氏からインタビューの依頼が入った。聞けば、星海社新書の公式サイト「ジセダイ」に、ぼくのインタビューを掲載したいのだという。内容は「トップライターが教える原稿の書き方」。当時のぼくは、柿内芳文氏をはじめとする一部の編集者にこそ名を知られているものの、世間的にはまったく無名のライターだった。「ここを起点に、新書を書けるライターを育てていきたいんです」と彼は言った。

取材場所にぼくが指定したのは、自宅近くのロイヤルホストだった。そこに柿内芳文氏と、当時星海社新書に所属していた竹村俊助さんも同席されていたように記憶している。

ぼくはA4用紙7〜8枚分のメモを用意して出向いた。「自分が語れること」や「ここまでだったら言えること」を列挙したメモだ。膨大なメモに驚き、そのうちの3〜4個について「これはどういう意味ですか?」とか「ここ、詳しく教えてもらえますか?」などの質問をぶつけた柿内芳文氏は、意を決したように「これをインタビューで終わらせるのはもったいない。本にしましょう」と言い出した。

じつはぼくとしても「本にできたらいいな」との思いはあった。しかしそれは「このインタビュー記事を読んだどこかの編集者さんが、企画を持ってきてくれたらいいな」との願いだった。だからこそ、インタビューを充実した内容にするため、事前の準備を惜しまなかったのだ。まさかこの場で出版が決まるとは、つゆほどにも思っていなかった。


およそ半年後、その企画は『20歳の自分に受けさせたい文章講義』の名前で世に出ることとなった。

本日、その32刷目となる重版見本が届いた。

ぼくは普段、「営業はしたことがない」みたいなことをよく言っている。たしかに自分について、いわゆる「営業」をしたおぼえは皆無に等しい。しかしながらなにもせず、ぼーっと声がかかるのを待っていたわけではなく、さまざまの機会で、さまざまの人に対して「書けますよ」や「書きますよ」のアクションはとってきたし、それはいまも変わらない。もしもあのとき、なんの準備もしないままロイヤルホストに向かっていれば『20歳の自分に受けさせたい文章講義』は出ていなかったはずだし、この足がかりがなければ、同じ柿内芳文氏と組んでの『嫌われる勇気』もなく、『取材・執筆・推敲』もなかったはずだ。

なんでもない打ち合わせが、人生を変えることもある。今週の、あるいは今日のなんでもない打ち合わせに、どう臨むのか。それが10年後の自分をおおきく変えているのかもしれないのだ。