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わたしの会社のウォーターサーバー。

水圧の弱いシャワーは、少しさみしい。

ホテルや銭湯などで、針金みたいな水圧のシャワーにあたると、ぼくは無闇に興奮してしまう。「うーひょひょひょひょ」と奇声を上げながら、頭部に水の針金を押しつける。一方で、宿泊先のシャワーがへなへなの水圧だった場合には、わかりやすくテンションが下がってしまう。それでなにが変わるわけではないのに、さみしい気持ちになってしまう。

おそらくその延長線上にある発想なのだろう。かつてのぼくは、ウォーターサーバーというものを敬遠していた。水がおいしいのはいいけれど、あればたしかに便利だろうけれど、あのちょろちょろの水圧がどうも、気に食わなかったのである。使いはじめたら、じれったく感じるだろうなあ、さみしくなるだろうなあ、と予想していたのである。

しかし、昨年末か今年の頭だったか、会社にウォーターサーバーを置くことになった。広くもないオフィスで増殖を続ける空きペットボトル容器にうんざりしての、やむにやまれぬ決断である。

導入したウォーターサーバーは、非常にいいものだった。なんなら自宅にも入れたいくらい、気に入った。ちょろちょろの水圧も、ほとんど気にならなかった。そりゃそうだ、シャワーじゃないんだもの。導入したのが冬だったため、「これ、夏になったら大活躍だなー」なんて思っていた。おいしく冷えた水を、ぐびぐび飲みまくる夏になるだろうなと。


そして夏の盛りも過ぎようとしている現在、ぼくはウォーターサーバーの水を、あまり積極的に飲んでいない。代わりにその水で、カルピスをつくって飲んでいる。思えば原液のカルピスを水で割って飲むのは、子どものころ以来だ。しかも当時は水道の水で割っていた。それがどうだ、いまやナントカ天然水的な、冷え冷えのウォーターサーバー水で割って飲めるのだ。氷が溶けて味が薄くなるなんてこともなく、社長であるぼくは好きなだけカルピスが飲める。お湯も出るからホットカルピスだって、できちゃうからね。


ゆたかなような、貧しいような。書いてて少し、さみしくなってきた。