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「稼ぐ」という発想について。

何気なく発したことばから、思わぬ本音がこぼれ落ちることがある。

たとえば、「PVを稼ぐ」という表現がある。ほとんどの人は無意識に使っているだろうけれど、PVには「稼ぐ」の動詞が用いられる。しかし、出版の世界で「50万部を稼いだ」などと表現することは、ほぼありえない。せいぜい「50万部を記録した」だったり「50万部を突破した」だったり、あるいは動詞を用いず「50万部のベストセラー」と表現したり。それが出版界のカウント方式だ。じゃあ、どこから「稼ぐ」のことばが出てきたかというと、やはりテレビ業界だろう。当該番組の視聴率について、テレビ業界の人たちはしばしば「稼ぐ」の語を用いる。

ところがおもしろいことに、当該番組がDVD化され、大ヒットした場合にはやはり「50万枚突破」などとカウントする。「50万枚を稼いだ」とは言わない。

なぜか。DVD化するとは、つまり「モノ化」するということだ。そして、モノの数をカウントするとき、ぼくらは「稼ぐ」とは言わない。「稼ぐ」とは、もうちょっと観念的な数値のカウントに用いられる語なのだ。

といったところから、こんなふうに考えることができる。

なるほど、コンテンツの中身(テキスト)で考えると出版との親和性が高そうなウェブ業界だけれども、ビジネスの構造、あるいは消費の構造から考えると完全にテレビの延長なのだな。だからこそぼくは「紙か、ウェブか」の議論がしっくりこないのだな。……「稼ぐ」のひと言から、そんな本音なのか本質なのかが見えてくるわけだ。


じゃあ、もう少し考えを進めよう。

これはテレビを念頭に置いて考えるとわかりやすいのだけど、「稼ぐ」ことを目的につくられたコンテンツは、だんだんと扇情的なものになっていく。「いいもの」よりも「刺激的なもの」のほうが、数字を稼げるからだ。やがて家電量販店のチラシみたいな番組ばかりがゴールデンタイムを占拠し、次第にテレビそのものを見なくなる。だって、家電量販店のチラシを毎日何十枚も読みたい人なんて、いないだろう。


ここでいう「刺激的なもの」とは、ひと言でいえば「ゲスいもの」だ。

ぼくはおもしろいものが好きだ。くだらないものも好きだ。下品なものだって大好きだ。場所と相手と文脈さえ間違えないかぎり、下ネタはとても魅力的な話題だと思っている。そもそも、「なにを下品とみなすか」の基準なんて、時代や文化によっていくらでも変化するものだ。

でも、「ゲスいもの」だけはぜったいにダメだと思っている。

そこには(昨日書いたような)他者へのリスペクトがいっさい存在していないし、蔑みや嘲笑、排他性や閉鎖性まで内包するのが「ゲス」というものなのだ。同じ下ネタを語っていたとしても、下品とゲスはまったく違うのだ。


このところ、ウェブ上で「数字を稼ぐ」ことを目的に「ゲス」を取り入れたコンテンツを目にする機会が増えてきた。テレビがつまらないとかテレビは終わったとかいいながら、テレビをいちばんつまらなくした発想をなぞりつつあるようで、複雑な気持ちになる。

いろいろな事情があるのはわかるけど、「数字(PV)を稼ぐ」の発想から一度離れたほうがいいと思うのだ。じゃないと、長持ちしないよ。