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一年でいちばん面倒くさい日、なのかもしれない。

先週に、誕生日を迎えた。

「もうお祝いするような歳じゃないから」。聞き飽きたし、自分でも言い飽きたセリフだ。けれど、その日を無事にやり過ごす呪文のように、今年も何度か口にした。もうお祝いするような歳じゃない。待ちに待ってた歳じゃない。ただいつもと同じ今日がやってきて、たまたまその日が自分の誕生日だったというだけの話だ。ひねくれた男のように聞こえるかもしれないが、それがぼくの(自分に対する)バースデー観である。

たとえば大晦日、新年に向けてカウントダウンをする。あたらしい年がはじまったことをみんなで祝う。元旦から雑煮やおせちを食べ、ほろ酔いのまま初詣に行く。そういう日は、祝日の名が示すとおりお祝いすべき日だ。ぼくもおおいにお祝いするし、たのしい。

しかし自分の誕生日は、みんなにとっての祝日(祝いの日)ではなく、ただぼく個人の記念日である。そこに特別な意味を与えたり、自分を主人公とする宴を催したりするのは、どうも気が引けるというか気乗りしない。ぼくのことはいいからふつうにやりましょう、と思ってしまう。ゆえにSNS上でも自分の誕生日は公開していない。

そんなふうに考えるのは、もしかしたら自分の誕生日が夏休みにバッティングしていたからかもしれない。思えばクラスメイトの集まる「お誕生日会」めいたものを開催してもらった記憶はほとんどなく、そこには級友がバラバラになる夏休みという期間に誕生日を迎える人間の運命も、関係しているのかもしれない。お祝いされることに慣れていないのだ。


なんて言いながら面倒くさいのは、ほんとうに誰からもお祝いされなかったら、それはそれでさみしいのである。いま、こんなふうにひねくれたような物言いができるのは、ぼくの誕生日を知り、たとえことばひとつであったとしても祝ってくれる人が(少ないながらも)いてくれるからこそ、なのだ。ぼくはこれまで、祝ってくれる人が誰もいない誕生日というものを、二度ほど迎えたことがある。正確には「祝ってくれたのはプロバイダのダイレクトメールだけ」という誕生日だ。それはそれはさみしい一日だった。

ずいぶん前に糸井重里さんは、『海馬』という本(池谷裕二さんとの共著)のなかでおもしろい説を披露されていた。

その名も「30歳の誕生日になにをしていたかで、その人の人生が決まる説」である。

どういうことか。曰く、30歳はシンボリックな日であり、誰であれ多少は「30歳になるんだ」との思いが働く。そしてその日をどんなふうに過ごすのか、少なくとも子ども時代に比べれば選択肢がある。一方、30歳ともなれば忙しく働いている人が大半で、自分の自由にならないことも多い。なんでも自由に選べる立場ではない。結果、人は「選べること」と「選べないこと」の中間あたりの一日を、30歳の誕生日として過ごす。その「こんなところかな」という加減は、どこか人生のありようにも似ている。……およそそんなお話だった。

この説に触れたときのぼくはもはや30歳を超えていたのだけれども、自分がどんな30歳の誕生日を迎えたのか、きれいさっぱり忘れていた。まあ、記憶に残っていないということは忙しく働いていたのだろう。そしてもしかするとあの「プロバイダからのダイレクトメールだけ」に祝ってもらった誕生日が、30歳のそれだったのかもしれない。

主人公にはなりたくない。かといって、みずから縁の下の脇役を買って出るほどの献身性にも乏しい。なにがしたいのかわからず、どうありたいのかわからない。そういう自分の面倒くささを知らされる「わたしの日」が、ぼくにとっての誕生日なのかもしれない。