誰かのいい仕事が、ぼくらを育てる。
ぼくは原稿を書くことを生業としている。
だからときどき、違ったタイプのお仕事をしているひとについて、見当違いなやっかみにとらわれることがある。「このひと、打ち合わせしかしてないじゃないか」と。「そんなにラクな仕事があるものか」と。
だってそうだろう。ぼくは打ち合わせや取材を受けて、そこからひとり手を動かし、もがき、くるしみ、十万字をこえる原稿を書いていってようやく仕事が成立するのだ。打ち合わせをするだけ、あれこれ言うだけ、指示するだけですむのなら、そりゃあ何本・何十本の仕事だってこなせるよ、と。
これが見当違いなやっかみであることは十分理解しながら、けれどもやっぱり「手を動かすこと」の大切さを思う機会は、やはり多い。自分は「手を動かしている」んだという自負も、やはり大きい。
いまからおよそ一カ月前、ほぼ日で糸井さんがこんなことを言っていた。
「インターネット上でやってることって比喩なんです。
でも例えるもとがない比喩ではダメなんですね。
肉体感というか。
みんな、ネット上に全部あるって思い過ぎで、
それは脳が自分だって考えているからじゃないのかな。
でも脳が自分で肉体を借りてるんじゃなくて、
全部まとめて自分だから。
もっと言えば、
友達関係も、その住まいも、
みんな含めて自分です。
ぼくら、その全体性を忘れちゃうなあと思って」
今日から六本木ヒルズで開催されている「生活のたのしみ展」。このイベントをやるに至った動機ついて、「&Premium」編集長の柴崎信明さんとの対談のなかで語られたことばだ。
実際のイベントに行ってきた。
揃いのツナギを着たほぼ日のみなさんが、手を動かし、足を動かし、おおきな声を出して右から左へと走りまわり、笑顔でお店を回している。接客ではない会話を、お客さんと交わしている。
糸井さんの言ってた「肉体感」や「全体性」って、こういうことなのか。
まるで市場のような、遠い異国のカーニバルみたいな、それでいてサーカス団のような、ふしぎな「にぎわい」。熱心なファンだけが集まる感謝祭イベントではなく、通りがかったひとたちがみんな吸い寄せられてしまうような、ふしぎな「にぎわい」。
たいへんなのはわかってるけど、これは定期的なイベントにしてほしいなあ。
ま、原稿書くばっかりで「手を動かしてる」なんて言ってちゃ、ぜんぜんダメだよね。たくさんの原稿が待つオフィスへの帰り道、だいじなことを教えていただいた気がしました。
誰かのいい仕事だけが、ぼくらの栄養源なのです。