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歴史上の人物に手紙を書く。

「歴史上の人物に、手紙を書きましょう」

小学校の授業で、そんな課題を出された。歴史上の人物、というのもなんだか漠然とした言い方だ。ぼくはそれを尊敬する故人、と解してえんぴつを握った。宛名はそう——相良寿郎さんへ。

相良寿郎。彼はアントニオ猪木の祖父である。ほんとうはアントニオ猪木に手紙を書きたかったのだけど、あいにく猪木は「歴史上の人物」ではない。まだバリバリの現役として、リングに上がっていた時代の話だ。そこでぼくはアントニオ猪木の祖父、相良寿郎さん宛てに手紙を書いた。

アントニオ猪木こと猪木寛至は、5歳のときに父を亡くしている。そのため彼は祖父・相良寿郎を父親代わりとして育った。寿郎の口ぐせは「世界一の男になれ」。乞食になってもいい、ただし世界一の乞食になれ、というのが彼の教えだった。

そしてほんとうに世界一を夢見ていた寿郎は、家族を引き連れてブラジルへの移民を決意する。日本にいてもしょうがない、ブラジルで一旗あげるのだと、横浜港から商船「サントス丸」に乗り込み、彼の地をめざす。けれど、ブラジルに到着する前の太平洋上で体調を崩し、帰らぬ人となってしまう。なかば強引なかたちで寿郎に連れられてブラジルをめざしたはずの猪木一家にとって、それは大いなる不幸のはじまりだった。

……みたいな話をなぜか、小学生のぼくは知っていた。たぶん、当時むさぼり読んだこの本に書いてあった話なのだろう。あるいは漫画『プロレススーパースター列伝』の影響なのかもしれない。

それで、いちおうは相良寿郎さんへの手紙という体裁をとりつつも「あなたの厳しい教育のおかげで、世界最強のアントニオ猪木は生まれました」だとか「ついにジョニー・パワーズを破り、NWF世界ヘビー級チャンピオンに輝いたとき、彼の頭の中にはきっとあなたの『世界一の男になれ』という言葉が響いていたのだと思います」だとか「そして訪れたモハメド・アリとの格闘技世界一決定戦では」などと私情と妄想にまみれた闘魂ヒストリーを書き連ね、なかなかに奇怪な作文に成り果ててしまった。

ただ、ひとつだけよく憶えているのは、自分の動機である。

ぼくは作文の課題だからと、仕方なくあれを書いたのではなかった。これを機会にあの人をギャフンと言わせてやろう、と思っていた。ギャフンと言わせたい相手は、担任のK先生。プロレスを馬鹿にして、猪木を馬鹿にして、猪木を盲信するぼくをせせら笑う、40代の女性教諭。ただ彼女ひとりに向けて、アントニオ猪木という人がどれほどすごい人物なのかをプレゼンするような気持ちで、ぼくはあの作文を書いた。明確に「たったひとりの読者」を意識して書いたのは、あれがはじめてだった気がする。

もっともK先生は「古賀くん、これはだめよ」くらいの感想しか漏らさず、ぼくの試みは空振りに終わった。彼女によると、相良寿郎は歴史上の人物ではないのだった。

しかし「たったひとりの読者」に向けて書いたとき、どれだけの熱が文章にこもるのか、ぼくはあのとき学んだ。みんなに向けて書くよりも、たったひとりの読者に向けて書いたほうが、結果としてみんなに届くのだと、いまもひそかに思っている。