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タイトルは書かない。

不思議なものだよなあ、と思う。

いまでもけっこうその傾向があるのだけど、ぼくは年長者の友だちが多い。友だちなんてとんでもない、もちろん先輩だ。そしてもう何十年と会っていない先輩も、大勢いる。それは中学・高校時代の部活の先輩に限らず、たとえばバイト先の先輩だったり、なんとなく知り合ってなんとなく遊んでいた先輩だったり、勤務先の先輩、年長の編集者、などなどだ。

二十年や三十年と会っていないのだから、いまのぼくはもう、彼らや彼女らよりもずいぶん歳をとっている。けれども記憶のなかに残る先輩たちは、いまでもずっと先輩のままだ。より正確にいうなら「大人」のままだ。彼らや彼女らのことばを思い返すとき、ぼくはそれをとても「大人な人たち」の発言として、思い返している。せいぜい二十五歳や三十歳の若造だったはずの、あの人たちのことばを。

誰かとともに年齢を重ねること。それは奇跡的と言ってもいいくらい、贅沢な話なのだろう。けれど、会わなくなったり会えなくなったりした先輩たちの、たったの二十五歳や三十歳の「大人」が語ってくれたことばは、やはり贅沢な財産としていまの自分に残っている。だって、いまではもう二十五歳のことばを「大人のことば」として受け止めるのは、むずかしいからね。

同年代の仲間とつるむ青春もいいけれど、たくさんの「大人」たちに囲まれる青春が自分にあってよかったなあ、と思うのだ。そして、誰かにとってのそういう「大人」に自分がなれればなあ、なれていないだろうなあ、と。


あ。書いてみて今日のタイトル、『ボクたちはみんな大人になれなかった』がいちばんしっくりくるような気がしてきた。

この映画については11月5日の公開が近づいたら、感想を書くと思います。