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そのおおきな枠組みのなかで。

したい人がすればいいし、できる人がすればいい。

寄附の話である。ぼくは毎月、国内外3つの機関に自動引き落としでの寄附をしている。そしておおきな災害のあったときには別途、まとまった金額を寄附するようにしている。「偉いでしょう」と言いたいのではない。「あなたもやりなさい」と言うつもりもない。寄附したいからしているだけだし、たとえばパンの耳ばかりかじっていた20代のぼくに寄附など、したくてもできなかったことだ。いや、そもそも寄附するという発想さえ湧き上がらなかったと思う。当時のぼくは、自分のことで精いっぱいだった。それは稼ぎが少なかったというだけではなく、世のなかとの向き合いかたという意味においても、自分のことで精いっぱいだった。

寄付先のウェブサイトには「この金額で毎月○名の子どもたちにワクチンが打てます」とか「この金額で一家族分のテントを支給できます」とかいった説明書きが添えられている。「なるほどなあ。それはうれしいことだよな」とは思うものの、自分の寄附したお金が別のことに使われても、まったく問題ない。現地職員のガソリン代に使われようと、昼食代に使われようと、ささやかな宴の酒代に消えようと、ぜんぜんいい。

ぼくが寄附をするのは「現地で困っている人」のためだけではなく、「現地に出向いてくれる人」のためでもあるからだ。

たとえば戦禍のウクライナに、ぼくは行けない。大混乱が続くトルコやシリアに、ぼくは行けない。なんらかの専門性をもって彼の地に赴くあなた、どうかぼくの思いも届けてくれ。そしてどうか無事に帰り、今後もその仕事を続けてくれ。そういう気持ちをもって、ぼくは寄附を続けている。ワクチンやテントを届けることも大事だけれど、それと同じくらい「この仕組み」を維持することが大事なのだと思うからだ。

そんなふうに考えるようになったのは、やはりある程度の社会経験を積んで「縁の下」や「裏方」として働く方々の存在を知り、ときには自分自身が率先して「縁の下」や「裏方」の役割を担うようになってきたからだろう。


メキシコのサンドバル国防相は13日、トルコとシリアで起きた大地震の被災地で生存者の捜索活動にあたっていたメキシコの救助犬が「殉職」したと公表した。国防省は公式ツイッターに「英雄的な働きに感謝します」との追悼文を掲げた。「殉職」したのは、メキシコ軍の救助犬でジャーマンシェパードの「プロテオ」。今回の地震を受け、軍の救助隊のメンバーとして複数の救助犬がトルコ入りしていた。軍は「あなたは使命を果たした」とプロテオをたたえた。

朝日新聞DIGITALより

この子のニュースを聞いて以来、ずっと考えている。日本からも災害救助犬が派遣されている。世界各国から、災害救助犬が集まっている。ぼくが寄附したお金のうち、ほんの一部でもいいから、この子たちのおいしいごはんに使われないかなあ。使い途はどうでもいいと思っていたはずの自分が、少し揺れているのだ。このおおきな支援の枠組みのなかで、ぼくが支えたいのは「ここ」かもなあ、と。