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アルバイトの記憶から。

やたらと額縁の多いお宅だった。

学生時代、引越のアルバイトをしていたときのことである。ご自宅に伺うと新聞紙にくるまれた大小さまざまな額縁が、軽く見積もっても20個以上は並んでいた。引越先は、福岡市内の高級マンション。対応してくださった住人さんは、50〜60代くらいの女性ひとり。重たい家具も、ガラス製のテーブルがあるくらいで、こりゃあラクな引越だと喜んでいた。

引越先に到着して荷物を運び入れると、オーダーに応じて荷ほどきに取りかかる。ソファやテーブル類を所定の位置に収め、テレビやビデオの配線もぼくらが請け負う。そして家主の女性は、あの新聞紙にくるまれた額縁もほどいてくれと言う。

ほどくとそれは、すべてある女性タレントさんのポスターだった。ああー、そういえば。福岡出身のそのタレントさんと、家主の苗字が一致する。なるほどここは、彼女のご実家なのだ。この女性は、彼女のお母さんなのだ。

その後も荷ほどきは続き、彼女がなにかの賞で受賞したトロフィーの類いが、ばんばん出てくる。すべてを並べ終えてご自宅をあとにするころには「彼女はすごい芸能人なんだなあ」なんて感心してしまった。あんなにたくさんのトロフィーをもらっているんだもの。あんなにたくさんのポスターがあるんだもの。なんだかちょっと、ファンになっちゃったよ。バイト仲間と、そんな感想を漏らし合ったのを憶えている。


数年後、ぼくはライターの仕事に就いた。さまざまの奇縁もあり、まったく得意ではない経済雑誌での仕事が、とくにキャリアの初期には多かった。取材相手の多くは「社長さん」だった。自身の社長室に、所狭しと楯やトロフィーを飾りまくっている社長さんは、どこか格好悪く感じられた。「ああ。こういうものはご実家に保管されているくらいがちょうどいいんだな」と、引越アルバイト時の記憶を思い起こしたりした。好きな絵や写真、本などを飾っている社長さんとは、話が盛り上がった。


セルフブランディング的な発想がどうにも苦手なのは、あの社長室みたいな気恥ずかしさを感じるからなんだろうなあ。自分の仕事に照れちゃいけないけれど、照れと恥は違うからね。