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果たされないままの約束。

「いろいろ落ち着いたら、飲みに行こうよ」

そんなふうに約束を交わしている友人が、何人もいる。落ち着くべき「いろいろ」とは大体の場合、仕事だ。いまはお互い忙しいけれど、ちょっとその余裕がないけれど、落ち着いたらきっと飲みに行こう。なにも考えず、くだらない馬鹿話に花を咲かせよう。そんな約束だ。

今年の場合はそこに、コロナという変数が加わっている。落ち着くべき「いろいろ」の筆頭近くに、感染症の蔓延がある。仕事については、おれのがんばりによって落ち着くはずのものだけれど、さすがにコロナはおれひとりのがんばりとは無縁のところにある(ように思えてしまう)。


締切は創作の母、みたいなことがしばしば言われる。作家やライターにかぎらず、あらゆるクリエイターは締切(納期)があるから尻に火が点き、その火はこころに燃え移り、土壇場の悪あがきも含めて「できたっ!」に至る。締切がなければ尻に火は点かず、だらだらぐずぐずするだけだ。——みたいなことが、しばしば言われる。

締切とは、納期である以前に「約束」だ。その日までにつくりましょう、と交わされた約束のことを、締切と言う。締切を平気で破る人は、業務上の納期を守らないのではなく、大事な誰かとの「約束」を守らない・守れない人なのだとぼくは思っている。


今年はなんだかんだで「いろいろ落ち着いたら、飲みに行こうよ」の約束をたくさん破ってきた。ようやく脱稿と言えるところまできて、本づくりが次のフェーズに入ったと思ったら、世間のほうも次のフェーズに入ってきたようだ。またいくつもの約束が、果たせないまま延期になるのだろうか。


飲みに行くのもたのしいんだけれど、あてずっぽうに「飲みに行こうよ」とか「温泉でも行こうよ」の約束を交わす瞬間もまた、うれしいんだよね。