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『それで君の声はどこにあるんだ?』感想。

日本に生まれ暮らす人間にとって、キリスト教はなかなか厄介な存在だ。

たとえばカントやヘーゲルの近代哲学に触れようとするとき、そこにはかならず超越者としての《ゴッド》なるものの存在が登場する。めざすべき真理をそこに置いた上で議論が展開され、たぶん自分がこれをちゃんと理解するのは無理なんだろうなあ、と思わされる。あるいはドストエフスキーやトルストイを読むときも、やっぱりロシア正教の存在が邪魔になる。彼らの登場人物が語る正教会的な説教(preach)は、まさしくだらだらとしたお説教としてしか響かず、いかにも眠気を誘う。さらにまた、アメリカのことを知ろうとすればするほど、かの国に根づく奇妙で異端的なキリスト教のありように面食らってしまう。橋爪大三郎さんや森本あんりさんによる(とても優れた)入門書を読んでみても、なかなか理解にたどり着いたと思いきるまでには至らない。そこだけ引用するのもどうかと思うけれど遠藤周作はたしか、「日本人は人間を超越した存在を考える力を持っていない」みたいなことも書いていた。

そういうジレンマに何度も突き当たってきたため、キリスト教や神学まわりのおもしろそうな本を、ときどき手に取るようにしている。キリスト教を知りたいというよりも、それを知らなきゃ「あの人たち」の言ってることの半分も理解できないはずだ、との思いがあるからだ。

と、きっかけらしいきっかけもないままに購入した『それで君の声はどこにあるんだ?』(榎本空/岩波書店)。サブタイトルはシンプルに「黒人神学から学んだこと」とされており、帯にはタイトルに呼応した "FIND YOUR VOICE" の文字が躍っている。

もう、ここ数年で最高の読書だった。

この本を読むまで、黒人神学なんて言葉も知らなかった。黒人神学とは、アメリカにおける黒人キリスト者による神学を指し、人種差別を内包する西洋神学(白人神学)へのアンチテーゼのように提唱されたものらしい。本書はそんな黒人神学の提唱者、ジェイムズ・H・コーンに学ぶため、ニューヨークのユニオン神学校に渡った作者の、いわば留学記である。

もちろん黒人神学を知らなかった人間として、純粋な学びも多い本だった。400年にわたるアメリカの黒人たちが背負ってきた歴史の重み、バラク・オバマという大統領を誕生させてもなお変わらない現実、そして黒人神学者たちのマーティン・ルーサー・キングに対する複雑な思いやマルコムXへの評価のありかたなど、「当事者」の声を通してしか知れないことは多々あった。

そしてまた、ひとりの日本人青年が見た、「神学徒たちの青春」の記録としても、単純におもしろかった。学ぶこと、考えること、行動に移すこと、いまを真剣に生ききることの清々しい息吹が、わが身に突き立てられるように迫ってきた。

そんな留学記パートを第一部として、物語は「Find Your Voice」と題された第二部に移っていく。

ここまで読みながら、ぼくはずっと疑問だった。たしかにこれは黒人神学を学びに行った作者の留学記である。知識としても、体験記としても、非常に有益な話が記されている。たとえば黒人神学者コーネル・ウェストの語る「土曜日の霊性」は目からウロコの観点だったし、本書内で紹介されていたミシェル・アレクサンダーの『新しいジム・クロウ』は是が非でも邦訳してほしいと思った。

けれど、作者は「それだけ」でこの本を書いたのだろうか。こんなにもすごい本を、それだけの動機で、つまり「留学記を通して黒人神学を概観する」というだけの動機で書けるものなのか。まだ第一部、本の半分しか読んでいないのに傑作を疑わないぼくには、そんな程度の動機は到底信じられなかった。なにかがあるに違いない。興奮に先を急ぐ自分をなだめながら、ゆっくりとページをめくる。

圧倒的な終盤に、その答えはあった。

タイトルが暗示するように、これは「書くこと」についての本だったのだ。人はなぜ「書く」のか。「書く」とはどういうことか。ほんとうを「書く」ためには、なにが必要なのか。その問いと答えが、『それで君の声はどこにあるんだ?』なのだ。少なくともぼくは、そう読んだ。

書くことを職業とするぼくは、あまり書くことを特別視したくないと思っている。書くことについて、なるべく悲愴になったり、扇情的なことばでそれを美化したり、深刻ぶった物言いをしたくないと思っている。だって、たかが「書くこと」なのだから。

けれども、「ほんとうに書く」や「ほんとうを書く」であれば、話は別だ。

この本には、その両方があった。このタイミングで読めてよかったし、ひさしぶりに「ほんとう」を書きたくなった。なにを書くのか知らないけれど、書きたくなったのだ。作者の榎本空さん、どうもありがとうございました。