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さるの話を入口に。

さる、という動物がいる。

ときにさるは、「おさるさん」と呼ばれる。ほかの動物はあまり、そう呼ばれない。犬も猫もウサギも鳥も、そう呼ばれない。かろうじて思い浮かぶところがあるとすれば、「お馬さん」だろうか。そもそも「お○○さん」は、お坊さんとか、おすもうさんとか、お侍さんとか、ほどよい親しみと敬いのなかに付けられる接頭&接尾語の組み合わせである。

そのためたとえば、「さるのような顔だ」と言うよりも、「おさるさんみたいな顔だ」と言ったほうが、ただの悪口にとどまらないおかしみめいたものをぼくは感じる。もちろんこのへんは個々人によって捉えかたが異なるところだろうけど。少なくともぼくは「おさるさん」なることばの響きが大好きなのである。

そしてこれは西日本中心の話らしいのだけど、食べものについても(主に高齢層の方々から)「お○○さん」の用法を耳にすることがある。

おいもさん、おいなりさん、おかゆさん、などなどだ。意外にも「おこめさん」は聞かないし、味噌や醤油に「さん」を付けることもない。お米、お醤油、お味噌汁、お団子、などはすべて「お」は付くものの「さん」までは付かず、言い換えるなら人格を持たない。芋、稲荷、粥は、擬人化されるように「さん」付けされ、親しまれているともいえる。

で、だ。

理想的な流れとしてはここで、「じゃあどうして猿はおさるさんになり、粥はおかゆさんになるのか」の議論に話が進むのだけど、そして猿や馬や芋や粥やに共通するなにかの発見があるべきなのだけど、どうも見つかりそうにない。書きはじめる前には漠然と「とりあえずこのテーマで書いていけば、答えも見つかるだろう」くらいに思っていたのに、見つからない。むしろ書きながら、矛盾や例外ばかりが浮かび上がってくる。

仕事として書く原稿であれば、これは完全な全ボツだ。ぼくはいい感じで書き進めながらもばっさり全ボツにしてしまうことの多い書き手なのだけれども、その大半は「書いてみたけどわからなかった」原稿である。そして「書いてみたけどわからなかった」は、知力や思考力の問題であるよりも、そもそもの問いの設定に失敗していることが多い。

いい答えの前には、いい問いがある。いい角度から、いい問いを投げかけることができれば、その時点でもう企画は成功している。あとは解くだけなのだから。よく語られる「課題解決力よりも、課題発見力が大切なんだよ」のアドバイスは、そういうことなのだと思う。