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感想戦とは推敲である。

感想を練るのが、好きだ。

きのう、ほぼ日さんの「贋くらぶはうス」と題されたイベント(?)に参加させていただいた。アーカイブを残さない、その場かぎりの、ラジオみたいな音声配信コンテンツだ。語り合うテーマは、西川美和監督の『すばらしき世界』。糸井重里さん、ハッシャダイの三浦宗一郎さん、編集者のひのなおみさん、という不思議なメンバーに加えて、なんと西川監督まで電話参加してくださる大興奮の「おしゃべり」。とてもとても、しあわせな時間を過ごすことができた。

興奮の収まらないまま帰宅し、犬とあそぶなどして風呂に入る。湯船に浸かってまた、おしゃべりを思い出し、映画を思い返す。「あの場面って、じつはこういう意図があったんじゃないか」「あのキャラクターは、○○のために存在したんじゃないのか」「せっかく西川監督が参加してくださったのだから、○○じゃなくて、△△について訊けばよかった」みたいなことが、わんわんあふれてくる。映画の感想が、どんどん上書きされていく。

きのうそれが「推敲」に似ているのだと思い至った。「そうか、映画や本の感想も、推敲することができるのか!」と、びっくりした。

推敲とは、原稿を「書いたら終わり」にしない、むしろ「書いてからがはじまり」であることを示すことばである。原稿は推敲のプロセスを経てようやく、あるべき姿になる。幾度もの推敲を終えてようやく、「書いた」と言えるのだと、ぼくは思っている。



いま、ぼくは『すばらしき世界』の感想を思う存分に推敲している。あたまのなかの赤ペンで、ガシガシ朱を入れまくっている。

それはもう、とびきりに贅沢で、すばらしい時間だ。