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あぶないあぶない、忘れるところだったです。

そうだ、そうだ。忘れるところだった。

前回、会社を設立してからまるまる5年が経過したこと(すること)を書いたのだけれども、ということはつまり、ここの note を書きはじめてからも5年が経過したということなのだ。

会社をつくってから5年間の毎日が——土日は更新していないとはいえ——ここに書き記されている。公私にわたって、ほんとにいろんなことがあった5年間だったけれど、そのほとんどぜんぶがここに書き記されている。読み返すにはあまりに膨大な日々の記録が、ここにある。


「これをやめたら、どんなにかラクなことだろう」


正直、いまでもその思いは強い。こんな雑文だとはいえ、1日のうち一定の時間をかけて書いているし、仕事の原稿とここの note と、それぞれ意識を切り替えるのにもまた、20分〜30分かかったりもする。もしも note を書くことを辞めたなら、日々の作業効率は、その集中具合は、格段に上昇する。これはもう、確実にそうだと言える。いま書いている本の脱稿も、おそらく1か月の単位で早まるだろう。

それでもぼくが毎日これを書いている理由はいろいろあって、きょうはそのうち、最近になって気づいた「毎日書くことの効用」を挙げてみたい。


① ことばへの構えがなくなる

もしもぼくが「気の向いたときにだけ、note を書く」というスタイルを選んでいたなら、たとえば「きのう食べたピザがうまかった」みたいな話は書けないだろう。個人的ななにかを書こうとしたとき、きっと「それって、わざわざ書くことかね?」の自意識がじゃまをする。もっと大事なこと、もっとみんなに感心されそうなこと、もっと社会に有用なことでないかぎり、なにも書いてはいけないような、書くに値しないような、妙な縛りができてくるはずだ。結果、おおきなこころの動き、大事件、ファイナルアンサーばかりをことばにするようになっていく。そして、ほんとうはいちばん大切なはずの「ちいさなこころの動き」をことばにする機会が、なくなっていく。日々の思いは、ことばを与えられないまま、記憶の彼方に消え去っていく。

毎日書いていて助かるのは、それら「どうでもいいかもしれない、日々のわたし」をことばにする習慣ができていくことだ。


② 「バズ」から距離を置くことができる

そんなはずはない、と思われるかもしれないが、毎日書いていたら、バズるとかバズらないとか、いいねが増えたとか増えないとか、ほんとのほんとにどうでもよくなっていく。

もちろんたくさんの人に読んでもらえればうれしいし、読んでくれるかもしれない人たちの存在を無視して書いているわけではないのだけれど、少なくとも毎日書くなんて話は、「自分との約束」がなければ始まらないことだ。まずは1年間、毎日書いてみよう。それができたら3年間、毎日書いてみよう。そこまでいけたらもう、5年間書き続けてみよう。しかも文字を埋めるだけの日記ではなく、なんらかの「読みもの」として、それを書き続けてみよう。そういう自分との約束から始まった毎日の書きものは、ほかの文章よりもずっと「わたしという第一読者」の存在がおおきい。きょうも継続できたこと、そしてその内容が一定の水準にあると思えること。このふたつがあればだいたい満足で、バズるとかバズらないとかはどうでもよくなっていくのだ。

まあ、そもそもバズるような刺激物、毎日書けないしね。


③ 狭くなった視野がひろくなる

しばしば交わされる「スマホがなかった時代、どうしてたんだろうね?」、「インターネットがなかった時代、どうやって調べていたんだろうね?」の会話。ここまでおおきな社会全体の変化でなくとも、○○○がなかった頃、おれはどうやって生きていたんだろう、みたいに考える機会はわりと多い。たとえばぼくの場合でいうと、犬である。犬がやってくる前、おれはどんな毎日を過ごしていたのだろう。わが家はどんな場所で、どんな空気が流れていたのだろう。犬のいない生活なんて、もう考えられないよ。……と思ってしまうのだけど、うちの犬は2016年生まれ。それ以前にも40年以上ぼくは彼のいない人生を生きていたのであり、その日々の一部はここの note にも書き記されている。犬がいないならいないなりに、あれこれ考え、笑ったり悲しんだり怒ったりをしていたのである。

何年も前に毎日書いたものを振り返り、「○○○がなかった時代のおれ」や「○○○だった時代のおれ」を知ることは、その○○○によって狭くなってしまっていたかもしれない自分の視野を、もう一度ひろげてくれる効果がある。


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まあ、とりあえず5年間書きました。

数字のキリのよさから考えると、辞めるならこのタイミングだとは思うのですが、なんとなく自分自身が中途半端なタイミングにいてここで辞めることはできそうにありません。来年も、ひとまず書いていく予定です。

それではあらためまして、よいお年を。