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あたらしい企画を考えるときに考えること。

企画の季節である。

次はどんな本を書こう。あの分野に飛び込んでみようか。こんな本を書いてみようか。手がかりになりそうな資料に目を通しつつ、あれやこれやと考えている。そのさまはちょうど、部活選びに迷う新入生に似ている。ひとたび入ってしまえば当面、そこに青春の住民票を置くことになるのだ。あせりは禁物である。


自分の本の企画を考えるとき、ぼくは「自分にできること」の見定めを大切にしている。どんなにやりたかったとしても、自分の手に余ることに着手しても仕方がない。というかほんとうの着手もできない。自分を知り、自分にできる範囲のなかで考えてこそ、企画は実現へと向かう。仕事である以上、自分のできる範囲のなかにある「やりたいこと」を探すのである。起こすまでもない絵に描き出すなら、こんな感じだ。

「できること」のなかにある「やりたいこと」を探す


じゃあ、その「やりたいこと」を、どう見定めるのか。

思いつきのレベルも含めるならば、企画のタネはいくらでもある。それなりに経験も積んでいるのだから「できること」の範囲も増えている。しかし、ここで大切になることばが、「かもしれない」だ。

つまり、自分の「できること」から少しだけはみ出した「いまの自分だったらできるかもしれないこと」のなかから、「やりたいこと」を選ぶのだ。

「できること」から少しだけはみ出す


できないかもしれない。でも、がんばればできそうな気がする。ものすごくがんばれば、できそうな気がする。いまの自分だったら、できそうな気がする。そういう場所にある「やりたいこと」を探すのだ。

職人的に「できること」をくり返していると、どうしても飽きがくる。飽きがくると気づかぬうちに、手を抜く。そして手を抜くと当然、質が下がる。それを避けるためにも「できるかもしれないこと」に手を伸ばす。ぜったいに無理ではないけれど、実現には相当ながんばりが必要な場所に、長くもない手を伸ばす。

そうすると、うまくいけば次回、「できること」の範囲が広がっているだろう。うまくいかなかったとしても、次への教訓は得られるだろう。じれったい気もするけれど、そうやって少しずつ自分の「できること」を広げていくしかないのだとぼくは思っている。あたらしい企画にはいつも、「試み」が必要なのだ。

うまくいけば「できること」の範囲が広がる


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……という話を書きたくなったのも、きのうブルーノート東京で、矢野顕子さんのコンサートを観たからだ。矢野さんのライブを観るのは初めてではなかったものの、ブルーノートでの矢野さんは初めてだった。

きょうも公演を控えているので、セットリストなどの詳しい話はできない。けれど。だけど。これマジほんとうに。いやあ、すごかった。そしてその「すごさ」の源泉は、矢野さんがアルバムのたびに、またライブのたびに、「いまの自分だったらできるかもしれないこと」に挑んでおられるからではないか、と思えた。チャレンジを辞めないのだ、全然。


ぼくらが座っていた席からは、矢野さんの背中がよく見えた。それはそれはカッコイイ背中だった。次の本もがんばろう、と思った。